ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルル・フリードリヒ」の意味・わかりやすい解説
カルル・フリードリヒ
Karl Friedrich, Markgraf von Baden
[没]1811.6.20. カルルスルーエ
バーデン辺境伯 (在位 1746~1811) 。ドイツの啓蒙絶対君主の一人。 1746年の即位前に,スイス,フランス,オランダなどに遊学して啓蒙思想に強く影響された。とりわけ経済・社会政策のうえで重農主義の理論を実践しようと努めたことで知られる。ドイツの重農主義理論家 J.シュレットワインを財政顧問に招いたほか,ミラボー侯,デュポン・ド・ヌムールという著名な重農主義者と盛んに文通して教えを仰ぎ,地租単一税制の施行と大農経営の育成を試みた。著書にミラボーの理論を祖述した『経済学原理概要』 Abrégé des principes de L'économie politique (1773) がある。
カルル・フリードリヒ
Karl Friedrich von Holstein-Gottrop
[没]1739
ホルシュタイン=ゴットロプ公。スウェーデンの反フレデリック王派 (ホルシュタイン党,別名ハット党) の中心人物 (→キャップ党・ハット党 ) 。カルル 12世の姉の子。
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