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岡島冠山 おかじまかんざん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岡島冠山
おかじまかんざん

[生]延宝2(1674).長崎
[没]享保13(1728).1.2. 京都
江戸時代中期の漢学者。名,明敬,のちに璞。字,援之,または玉成。通称,弥太夫。長崎で通辞をするかたわら宋学を学び,のちに江戸に出て,荻生徂徠の蘐園学派 (けんえんがくは) の人々が開いた唐話学 (中国語学) の講習会「訳社」の講師となり,江戸における唐話学の普及に努めた。門下に多くの唐話学者を生むとともに,江戸と京都との学問的交流の道を開いた。唐話学研究熱は中国白話 (口語体) 小説への傾倒を促した。のち京都へ上り,中国白話小説『忠義水滸伝』に訓点を付して翻刻したが,10回まで刊行して没 (没後 20回まで刊行) 。宝暦7 (1757) 年に『忠義水滸伝』の和訳『通俗忠義水滸伝』が,寛政2 (90) 年にその『拾遺』がそれぞれ遺稿として刊行され,読本 (よみほん) 流行の端緒となった。

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デジタル大辞泉の解説

おかじま‐かんざん〔をかじまクワンザン〕【岡島冠山】

[1674~1728]江戸中期の儒学者。長崎の人。名は璞(はく)、冠山は号。儒学を修め、中国語に通じた。著書に水滸伝の日本語訳や「唐話纂要」「華音唐詩選」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡島冠山 おかじま-かんざん

1674-1728 江戸時代中期の儒者。
延宝2年生まれ。唐話(中国語の口語)をまなび,元禄(げんろく)5年長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩の訳士(通訳)となる。のち辞職して正徳元年林鳳岡に入門。「水滸伝」を翻訳した。荻生徂徠(おぎゅう-そらい)と親交をむすんだ。享保(きょうほう)13年1月2日死去。55歳。肥前長崎出身。名は明敬,璞。字(あざな)は玉成。通称は長左衛門。著作に「唐話纂要」「唐訳便覧」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

岡島冠山

没年:享保13.1.2(1728.2.11)
生年:延宝2(1674)
江戸時代中期の漢学者。長崎の人。名は明敬,璞,字は援之,玉成,通称は長左衛門。冠山と号す。はじめ唐通事(中国語の通訳)として萩藩に仕えた。致仕後は長崎に帰り,唐通事会所の下級通事になったが,生活逼迫を理由に元禄14(1701)年に通事を辞す。その後は京都,江戸,大坂に遊び,正徳1(1711)年朝鮮通信使来聘に際し,語学力が買われて林鳳岡の弟子員となった。また同じ時期に,荻生徂徠の主宰した訳社(研究会)の講師となって華音(中国語)を指導,その学問に大きな影響を与えた。今日残る『唐話纂要』などの語学書は,この折の教科書といわれている。晩年は京都に移り住み,上方における白話小説熱を刺激,『水滸伝』の翻訳を目指したが,刊行を待たずに亡くなった。<参考文献>石崎又造『近世日本に於ける支那俗語文学史』,潟沼誠二「岡島冠山研究」(『国語国文研究』42,45,49,50号)

(高橋昌彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

おかじまかんざん【岡島冠山】

1673‐1728(延宝1‐享保13)
江戸中期の儒者。名は璞,冠山は号。長崎の人で唐通事をし,のち江戸へ出て荻生徂徠(おぎゆうそらい)を知る。唐話学の大家として活躍し,京都で没した。日本古典を漢訳演義化した《太平記演義》(1719)や,日本で最初の《水滸伝》の翻訳である《通俗忠義水滸伝》(1757‐90)を出しており,本格的な唐音学者,中国学者であった。著書には《唐話纂要》など。演義体小説水滸伝物【浅野 三平】

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大辞林 第三版の解説

おかじまかんざん【岡島冠山】

1674~1728) 江戸中期の儒学者・翻訳家。長崎の人。名は璞、通称は援之。朱子学を学ぶ。中国語に通じ、「水滸伝」を翻訳。著「唐訳便覧」「唐和纂要」「華音唐詩選」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岡島冠山
おかじまかんざん
(1674―1728)

江戸中期の儒学者。名は璞(はく)、字(あざな)は玉成(ぎょくせい)、初字は援之(えんし)、弥大夫(やだゆう)。冠山はその号。長崎の人。1694年(元禄7)萩(はぎ)藩(山口県萩市)の毛利吉就(もうりよしなり)(1668―1694)に唐訳士として仕え、1706年(宝永3)ごろ江戸に出て下野(しもつけ)国(栃木県)足利(あしかが)藩の戸田忠囿(とだただあり)(1669―1732)に仕える。1708年ごろ荻生徂徠(おぎゅうそらい)との交際を始めた。一時大学頭(だいがくのかみ)林鳳岡(はやしほうこう)に入門し、幕府の儒員の末席に加わるが、やがて(けんえん)学派の唐訳師として迎えられる。人物きわめて放達といわれるが、園の「訳社」(華語講習会)を通し江戸期における中国語学(唐話学)の形成および白話(はくわ)(口語体)小説の翻訳に果たした役割は大きい。享保(きょうほう)13年没、55歳。[藤原 暹]

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世界大百科事典内の岡島冠山の言及

【水滸伝物】より

…この読本発生の機運に寄与したものの一つに,唐話学隆盛に支えられた白話小説の流行があげられる。その中では《水滸伝》が早くから紹介され,岡島冠山による訓訳本(原文に訓点を施し,難語には訳を付す)がその没後の1728年(享保13)に刊行されている。《水滸伝》普及史における冠山の功績は多大で,《水滸伝》の最初の和文訳《通俗忠義水滸伝》(1737‐90刊)も彼の労になる。…

※「岡島冠山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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