ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
啓蒙思想
けいもうしそう
Enlightenment; Aufklärung; lumiéres
啓蒙思想の先駆的理念は古代ギリシアにさかのぼる。当時の哲学者たちは自然の規則正しい調和のなかに知的精神を見出した。ローマは合理的な自然の秩序と法則をはじめ,ギリシア文化の大半を取入れ存続させたが,ローマ帝国の混乱のなかで,思索の関心は個人の救済の問題に移行し,キリスト教の隆盛となって現れた。トマス・アクィナスの著作で頂点に達したスコラ哲学は,理解の道具としての理性を否定して,理性を精神的啓示とキリスト教により明らかにされた真理の下位に位置づけた。中世のヨーロッパでは難攻不落にみえたキリスト教の知的・政治的な牙城も,ヒューマニズムとルネサンスと宗教改革の攻撃により陥落した。ヒューマニズムは,F.ベーコン,N.コペルニクス,G.ガリレイの実験科学と,R.デカルト,G.ライプニッツ,I.ニュートンらの数学的正確性をもたらした。ルネサンスは古典文化を再発見し,創造的存在としての人間の観念をよみがえらせた。宗教改革はローマ・カトリック教会の強固な権威に,より直接的に挑戦したが,長期的な効果はなかった。ベーコンやデカルトと同様,M.ルターにとって真理にいたる道は人間の理性の適用にあった。科学におけるプトレマイオスにせよ,精神界における教会にせよ,既成の権威が自由な精神によって徹底的に問題にされた。いかなる問題に対しても,理性をうまく適用するには,それを正しくあてはめる必要があった。また,それは有効性のある理性的な方法論の発展に負っていた。そうした方法論は科学と数学で最も顕著に達成され,帰納法と演繹法がまったく新しい宇宙論の創造を可能にした。特に,地球の動きを司る法則を数学の方程式で表わしたニュートンの成功は,人間の能力が知識を獲得することへの信頼を高めた。同時に,単純で解明可能な少数の法則に支配される仕組みの宇宙論は,キリスト教の中心となった神と個人の救済の概念に破壊的影響を与えた。当然,理性は宗教にも適用され,合理的な自然信仰の探求から理神論が生れた。理神論は教団や運動にはならなかったものの,特にイギリスとフランスにおいてキリスト教との2世紀にわたる論争をもたらした。理神論者にとっては,唯一の神の存在,神が司る罪と罰のシステム,あるいは善行と敬虔に対する人間の義務といったような,あらゆる合理的人間に明らかな少数の真理だけで十分であった。理神論者の自然信仰をこえたところに,理性を宗教に適用して生れたより過激な懐疑論,無神論,唯物論などの思想が存在する。
啓蒙思想はまた,心理学と倫理学において近代的で世俗的な理論を生み出した。 J.ロックは,人間の心は生れたときは自由で大胆に書込みのできる白紙で,世界を経験することにより個人の性格がつくられ,善良さや原罪などのもって生れた素質というものは存在しない,とした。 T.ホッブズは,みずからの苦楽のみを考えて行動する人間の姿を描いた。善でも悪でもなく,生存と自身の喜びの増大にのみ関心をもつという人の観念は,過激な政治理論につながる。神の国を模した人間界と同様に,国家は永遠の秩序を地上に近づける場所とみなされていたが,いまやそれは自然権と各自の自己利益を守ることを目指した相互利益のための人間の間の取決めにすぎないとされるようになった。社会的契約としての「社会」という思想は,実社会の現実とは明らかに異なっていた。それゆえ,啓蒙思想は批判的,改革的,そして最終的には革命的になった。イギリスのロックと J.ベンサム,フランスの J.-J.ルソー,モンテスキュー,ボルテール,アメリカの T.ジェファーソンらは,専制的な独裁国家の批判と,自然権に基づき政治上の民主政体として働くより高い形態の社会組織の概略を描き出すことに貢献した。こうした強力な思想はイギリス革命やフランス革命となって現れた。啓蒙思想はみずからの行過ぎの犠牲になった。理神論者の宗教が純化するにつれて,慰めと救済を求める人に与えうるものは少くなる。抽象的な理性の称揚は,反対の精神を呼びさまし,ロマン主義運動による感覚と感情の世界の探求を促した。フランス革命に続く恐怖政治時代は,人間がみずからを支配できるという信念に対する試練となった。しかし,啓蒙思想の大半を特徴づけた楽観主義,すなわち人類の歴史は進歩の記録だとする信念は,啓蒙思想の最も長く生残る遺産となった。
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