精選版 日本国語大辞典 「啓蒙思想」の意味・読み・例文・類語
けいもう‐しそう ‥シサウ【啓蒙思想】
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啓蒙思想とは、狭義には、主として18世紀にフランス、イギリス、ドイツなどで行われた思想文化運動をさしていう。広義には、そこに現れた特徴がみいだされる運動一般に対しても使われる。「啓蒙」とは民衆の蒙昧(もうまい)さを理性によって啓(ひら)くという意味であり、ヨーロッパにおいても同様な意味内容がないわけではないが、その本質的な性格は批判的精神、懐疑と否定の精神に求められる。したがって蒙昧を啓く、いいかえれば教え導くというよりは、その原因となるものを徹底的に批判し破壊することがそのまま真理の道へ通じるといった考えが、とりわけフランスの思想家に強い。ドルバックに代表される宗教批判、コンディヤックらの形而上(けいじじょう)学批判、ディドロやルソーにみられる強烈な社会批判など、現存する既成の体制、固定的なものを容赦なく批判し、流動化し、相対化したことが、彼ら自身の唯物論、感覚論などの積極的な主張に劣らず重要である。
とはいっても、ボルテールやディドロなどの思想家が、プロイセンのフリードリヒ2世(在位1740~86)やロシアのエカチェリーナ2世(在位1762~96)らの啓蒙君主と深い関係にあったことも、重要な事実として見逃すことはできない。
[佐藤和夫]
「太陽王」ルイ14世(在位1643~1715)治世の末期から、戦争と宮廷の乱費による財政破綻(はたん)、ナントの王令廃止による宗教的不寛容が引き起こした社会的混乱などにより、フランス古典主義時代の栄華は崩壊し、従来のあらゆる文化・政治支配が相対化され始めた。すでに、ベールとフォントネルというデカルトの合理主義精神を受け継いだ思想家が、彗星(すいせい)をめぐる迷信や神託占いといった宗教的虚構に対して鋭い批判を投げかけ、近代的な科学的精神を主張していた。なかでもベールは『歴史批判辞典』の完成によって、従来の知識の誤謬(ごびゅう)を容赦なく指摘して既存のイデオロギーの土台を揺さぶった。無神論者をも許容する宗教的寛容、その背景をなす懐疑の精神など、ベールはフランス啓蒙思想の実質的な出発点をなす思想家であった。
ルイ14世の死後、フランス社会は流動化に向かう。たとえばモンテスキューは、それまでの統一志向に対して、時代と場所によって異なった価値が存在することを主張した。『ペルシア人の手紙』ではフランス文化や社会が相対化され、『法の精神』では法のあり方が風土によって異なりうることが示された。しかし、この時代にもっとも重要な批判は宗教批判であり、その代表者はドルバック、ラ・メトリらの唯物論者たちであった。宗教が無知と欺瞞(ぎまん)の産物であり、キリスト教は有害な道徳を教えるものだとする彼らの批判は、啓蒙思想を代表するものであった。
[佐藤和夫]
彼らの仮借ない現実批判は、かえって現実生活の積極的肯定を前提としていた。現世の生活を消極的にとらえ、禁欲的な宗教的生活を善とする考え方に対して、人間生活のあるがままを大胆に肯定しようとする思想が生まれた。飲食や恋愛の世俗生活が積極的な価値として主張され、現世における人間の幸福がいっさいを判断する基準となった。その結果、認識論的には感覚的経験が重視され、倫理的には功利主義的な快楽主義がたてられ、これまでの神の位置にかわって自然を存在論的原理とする唯物論が前面に登場する。ドルバック、ラ・メトリらの唯物論者たちは、人間的なものが宗教的彼岸のうちに組み入れられるのを拒否するために、精神を含めたいっさいをいったん自然=肉体に還元し、一元論的な世界観を展開しようとした。もちろん、啓蒙思想全体にはさまざまな潮流が存在したし、宗教的にはむしろ理神論的な把握のほうが多かったといってもよいが、彼らが人間理性と自然を基礎にした点では変わらない。
このような自然の大胆な肯定は、当時、急速な発展を遂げた近代科学技術によって、ベーコンが提唱したような自然支配による人間の幸福の可能性がみえたからにほかならない。ディドロ、ダランベールらによるこの時代の輝かしい成果である『百科全書』が、「科学、技術、工芸の合理的辞典」と名づけられているのはその象徴である。
[佐藤和夫]
科学技術の発展による自然支配の拡大は、人間の歴史が時代を経れば経るほど進歩していくという考えを生み出していった。17世紀末、ペローとボアローに端を発した「古代近代論争」、コンディヤック、ルソーらにおける「言語起源論」などの一連の議論は、人々に歴史の意識を植え付けるとともに、進歩の観念を形成していった。
とりわけて重要なのは、人間の発展の可能性に対する確信である。人間は教育によって条件を与えられるならば無限に完成への道程を歩み、進歩していくものだと考えられるようになってきた。実際、近代的な教育観は、コンドルセ、ルソーらを始めとするこの期の思想家たちによって確立されたといってもよい。その思想において重要なのは、人間理性が17世紀的な静止した固定的理性ではなくて、自らを形成しつつ、発展する運動的理性としてとらえられていることである。理性は生活と結び付き、もはや環境と歴史を離れて存在するものではなくなったのである。
[佐藤和夫]
この時代を特色づけるものとして、言語への注目があげられる。イギリスのロック著『人間悟性論』における言語論の影響を無視することはできないが、コンディヤック、ディドロ、ルソー、さらにはドイツのヘルダーに至るまでの言語への強い関心は、なによりもまず前述のような理性観の形成と結び付いている。言語として現れる理性は、もはや感覚経験から断絶したものではありえず、個々人の生活の具体的な次元と結び付くものとなる。それに対応して啓蒙思想家たちは感情および芸術の問題に関心を集中した。シャフツベリ、ハチソン、デュ・ボス、レッシング、バウムガルテンなど各国の思想家たちが、美的なものや感情の独自の役割に注目した。と同時に彼らは、認識の形成にあたっても欲求や情念が不可欠な役割を果たしているという観点から、言語の発生の問題を提起していった。
[佐藤和夫]
啓蒙思想は、これまでの単一的価値観や世界像を破壊して相対化し、従来理性的と考えられていたものも別の面からみれば反理性であり、一方で善であるものも他方からみれば悪であることを指摘した。ルソーやディドロらは、近代社会がそれ自体にこのような矛盾をはらんでいることを指摘し、カント、ヘーゲルらのドイツ思想の先駆者となった。
また、このような相対化は、ヨーロッパにおける寛容思想の成立と相応するものであった。プロテスタントとカトリックの激しい争いを中心とする絶えざる宗教的対立の過程を背景にして、思想の寛容をめぐるさまざまな見解が出された。ベール、ロック、ボルテールらの寛容論は、近代民主主義のヨーロッパ的性格を示すものとして興味深い。
[佐藤和夫]
『カント著、篠田英雄訳『啓蒙とは何か』(岩波文庫)』▽『シャトレ著、野沢協監訳『啓蒙時代の哲学』(『シャトレ哲学史Ⅳ』所収・1976・白水社)』▽『F・ヴェントゥーリ著、加藤喜代志・水田洋訳『啓蒙のユートピアと改革』(1981・みすず書房)』
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17世紀後半のヨーロッパにおける近代自然科学の確立とともに,その原理は社会的・歴史的事象の領域に浸透し始めた。それは18世紀のフランス,ドイツ,イギリスの思想の主流に発展する。啓蒙思想の多様な流れの基底には,人間的存在も自然的存在と同じく普遍的な法則に支配されているという観念,そして人間の理性それ自体の力で世界の秩序を理解できるという確信がある。この確信は進歩の観念につらなっている。その主要な内容としては,国家理論における社会契約説,法理論における自然権思想,宗教における理神論と宗教的寛容の主張などをあげることができる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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