カルロウィッツ条約(読み)かるろうぃっつじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルロウィッツ条約」の意味・わかりやすい解説

カルロウィッツ条約
かるろうぃっつじょうやく

1699年ドナウ河畔カルロウィッツKarlowitz(現セルビアのスレムスキ・カルロブツィSremski Karlovci、カルロウィッツはドイツ語名)において、オスマントルコ帝国がオーストリアポーランドベネチアと結んだ平和条約。1683年のウィーン包囲に敗れて以来、トルコはオーストリアの反撃を受け、97年にはゼンタZenta(現セルビアのセンタSenta、ゼンタはハンガリー語名)に大敗して、トランシルバニアなどを含む全ハンガリーを譲った。ポーランドにポドリアを、ベネチアにはモレアMorea(現ギリシア領ペロポネソス半島の旧称)などを与えた。これにより、オーストリア帝国の基礎は強固になったが、トルコは衰退に向かった。

[進藤牧郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む