カールスバードの決議(読み)カールスバードのけつぎ(その他表記)Karlsbader Beschuluß

旺文社世界史事典 三訂版 「カールスバードの決議」の解説

カールスバードの決議
カールスバードのけつぎ
Karlsbader Beschuluß

1819年にドイツ連邦議会が行った反動的決議
ナポレオン1世はドイツに自由主義民族主義を残したが,これが1817年からの学生のブルシェンシャフト運動に発展した。メッテルニヒ諸侯はこれを恐れ,ズデーテン地方のカールスバード会合,ブルシェンシャフトの解散出版物検閲大学監視などを決めた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む