ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(読み)ギニア・カーボベルデどくりつアフリカとう(その他表記)Partido Africano da Independência da Guiné e Cabo Verde; PAIGC

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党
ギニア・カーボベルデどくりつアフリカとう
Partido Africano da Independência da Guiné e Cabo Verde; PAIGC

1956年ポルトガルギニアカーボベルデ諸島の独立を目指して創設された解放組織。のちカーボベルデギニアビサオ政党。 1954年創設のアフリカ人独立党を改組して設立された。ギニアのコナクリに本部をおき,初代書記長には A.カブラルが就任。 62年 12月から武装解放闘争を開始し,1970年代初期までに国土の3分の2を解放。武装解放闘争を進めながら解放区の行政的整備,経済建設に力を投入し,72年には全国人民議会の選挙を実施して,独立の準備を進めた。 73年1月カブラルが暗殺され,実弟の L.de.A.カブラル議長に就任。同年9月には PAIGCの指導のもとで,ギニアビサオ共和国の独立が宣言された。翌 74年9月同国の独立はポルトガル政府によって承認され,カブラルが国家評議会議長についた。カーボベルデとの統合を指向するカブラルは 77年3月の人民議会選挙で再選されたが,80年 11月にカーボベルデとの統合に反対する軍事クーデター失脚,クーデターを指導したベルナルド・ビエイラ実権を握った。 89年6月の議会選挙では圧倒的勝利を収め,ビエイラは大統領に再選された。 94年7月の複数政党制による大統領選挙と議会選挙でも,ビエイラと PAIGCが勝利した。一方カーボベルデは PAIGCの強い要求にもかかわらず,ポルトガルが反対したために,75年7月ギニアビサオとは別の国家として独立,同時に PAIGC書記長の A.M.ペレイラが大統領に就任した。ギニアビサオでカーボベルデとの統合に反対する勢力がクーデターで実権を掌握したことから,81年1月カーボベルデの PAIGCは統合を断念し,党組織もカーボベルデ独立アフリカ党 PAICVに改組した。ペレイラ大統領は同年2月の大統領選挙で再選,85年 12月にも3選され,唯一の合法政党とされた PAICVも 85年 12月の総選挙で圧勝した。しかしその後,ペレイラ独裁への批判が高まり 90年9月には複数政党制が導入された。翌 91年1月に行われた総選挙で PAICVは 23議席にとどまり,野党の民主運動 (56議席) に政権を奪われた。さらに翌2月の大統領選挙でペレイラは民主運動のマスカレニャス・モンテイロ敗北。 95年 12月の総選挙でも PAICVは 21議席と票を減らし,翌 96年2月の大統領選挙には立候補者を立てられなかった。

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