クラフチンスキー(読み)くらふちんすきー(英語表記)Сергей Михайлович Кравчинский/Sergey Mihaylovich Kravchinskiy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クラフチンスキー」の意味・わかりやすい解説

クラフチンスキー
Kravchinskii, Sergei Mikhailovich

[生]1851.7.13. ヘルソン,ノーブイスタロドゥーブ
[没]1895.12.23. ロンドン
ロシアの作家,革命家。筆名ステプニャーク Stepnyak。 20歳の頃から革命運動に加わり,M.バクーニンや P.ラブロフの思想に共鳴し,1872年,ペテルブルグチャイコフスキー団に入った。翌年「ブ・ナロード」運動の先頭に立ち,パンフレットを書き,74年から国外に亡命し,スイス,パリを経て,77年にイタリアで農民運動に参加したが捕えられ,死刑を宣告された。のち執行猶予で一時帰国したが,ペテルブルグ憲兵司令官 N.メゼンツォフを暗殺して国外に亡命,イギリスで客死した。主著『地下のロシア』 Podpol'naya Rossiya (1882) ,『ツァー権力下のロシア』 Rossiya pod vlast'yu tsarei (85) はいまなおその積極的な意味を失っていない。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クラフチンスキー」の意味・わかりやすい解説

クラフチンスキー
くらふちんすきー
Сергей Михайлович Кравчинский/Sergey Mihaylovich Kravchinskiy
(1851―1895)

ロシアの革命家、作家。軍医の子として生まれる。砲兵学校卒業後1870年からナロードニキ運動に参加、農村での啓蒙(けいもう)宣伝活動ののち74年にスイスに亡命。78年ふたたび国内に潜入、憲兵長官メゼンツェフを刺殺し、「死には死を」の檄(げき)を発して、革命的テロリズムの正当性を訴えた。その後はヨーロッパ各地に居住し、ステプニャークСтепняк/Stepnyakの名で『地下ロシア』(1882)、『皇帝(ツァーリ)専制下のロシア』(1885)などの著作を英語で出版、ロシア革命運動の倫理的高潔さをヨーロッパの読者層に紹介したことで知られる。

[渡辺雅司]

『佐野努訳『地下ロシア』(1970・三一書房)』『漆原隆子訳『ツァー権力下のロシア』(1969・現代思潮社)』

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