日本大百科全書(ニッポニカ) 「バクーニン」の意味・わかりやすい解説
バクーニン
ばくーにん
Михаил Александрович Бакунин/Mihail Aleksandrovich Bakunin
(1814―1876)
ロシアの革命家。無政府主義と人民主義の指導者。トベリ県(現、カリーニン州)の富裕な地主貴族の家に生まれる。砲兵士官学校を卒業後、一時少尉補として勤務したが、哲学にひかれて退役。モスクワに住んでスタンケービチのサークルに入り、ベリンスキー、ゲルツェンらと交わって、ドイツ観念論哲学、とくにフィヒテとヘーゲルの哲学を学んだ。1842年ベルリン大学に留学、急速にヘーゲル左派に近づき、変名で論文「ドイツにおける反動」を発表し、真の創造のための革命的破壊を呼びかけた。1848~1849年の革命に参加し、ドレスデンの蜂起(ほうき)の指導者の一人となったが、ザクセンの官憲に逮捕されてロシア政府に引き渡され、禁錮(きんこ)刑ののちシベリア流刑となった。しかし1861年に脱出し、日本、アメリカを経てロンドンへ渡り、ここで旧友のゲルツェンやオガリョフとともに、ロシアの専制に抗して立ち上がったポーランド人民の反乱を支持し、ロシア国内の青年に革命を呼びかけた。1868年にはマルクスの創始した国際労働者協会(第一インターナショナル)のジュネーブ支部に加入したが、マルクスと対立し、1872年のハーグ大会で除名された。しかし、マルクスの考えを中央集権的な上からの社会主義として批判し、これに対して下からの自由意志に基づく連合と無政府を唱導した。このようなバクーニンの考えは、イタリア、スイス、スペインの社会主義とアナキズムの革命家に大きな影響を与えた。その後1870年のリヨンの蜂起、1874年のボローニャの蜂起に参加したあと、1876年7月1日スイスのベルンで病死した。主著に『鞭(むち)のゲルマン帝国と社会革命』(1871年執筆)や『国家制度とアナーキー』(1873年執筆)がある。
[外川継男 2015年10月20日]
『外川継男・左近毅編『バクーニン著作集』全6巻(1973~1974・白水社)』▽『左近毅訳『国家制度とアナーキー』新装復刊(1999・白水社)』▽『E・H・カー著、大沢正道訳『バクーニン』上下(1965/新装版・1970・現代思潮社/オンデマンド版・2013・現代思潮新社)』▽『ピルーモヴァ著、佐野努訳『バクーニン伝』上下(1973・三一書房)』