グレゴリウス改革(読み)ぐれごりうすかいかく(その他表記)Gregorian Reform

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グレゴリウス改革」の意味・わかりやすい解説

グレゴリウス改革
ぐれごりうすかいかく
Gregorian Reform

ヨーロッパ中世最大の教会改革。一般に教皇レオ9世の登位(1049)から第1回ラテラン公会議(1123)までの教皇に主導された教会改革をさし、その中心的指導者グレゴリウス7世の名にちなんでこうよばれる。

 初めは教皇権威の回復と、妻帯・聖職売買など聖職者の矯正を目ざす教会内の改革運動であった。しかし、グレゴリウス7世の登場とともに社会全体に及ぶものとなり、「教会の自由」をスローガンに、教会の純化のほか、教皇首位権の確立、教皇座への中央集権、教会の俗人支配からの解放、教権の俗権への優越などを実現しようとする一大刷新運動となった。そのため1076年以降、教皇(教会)とドイツ王(神聖ローマ皇帝)およびイギリス、フランス王との間に教権と帝権についての争いや叙任権をめぐる対立を生じ(聖職叙任権闘争)、それを通じて既存の宗教・政治体制を揺るがし、皇帝権の世俗化、皇帝と教会との諸関係の転換、高位聖職者の任命方法の変化や教俗両権分離への傾向をもたらした。

 また教会内では、教皇座の組織をはじめとする教会制度、教会秩序の整備、聖職者の倫理的向上、教義深化や教会法の発展を促すに至った。その結果、西欧の教会は、以後東方教会から分離したラテン的カトリック教会としての独自の性格を明らかにし、教皇を中心とする教会体制の基盤を固めることができた。12、13世紀の教皇権の隆盛はその多くをこの改革に負っている。さらにこの改革が修道院改革運動、民衆宗教運動、聖堂参事会改革運動とも結び付いて民衆の宗教的エネルギーを解き放ち、西欧社会のキリスト教化を深めたことや、改革と両権の抗争で神聖ローマ帝国が弱体化する一方、教皇座と提携した新興諸王国が台頭したため、この改革期に西欧の国際政治が大きく変化したことなども見逃してはならない。

[野口洋二]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のグレゴリウス改革の言及

【グレゴリウス[7世]】より

…59年ローマ教会の聖堂助祭に,アレクサンデル2世(在位1061‐73)のもとで教皇庁尚書院長を務めた。73年教皇に選ばれてからは聖職売買,司祭の結婚禁止を中心とする教会改革を強力に推進したので,この前後の改革運動は彼の名にちなんでしばしば〈グレゴリウス改革〉と呼ばれる。 とくに《教皇教書(デクタトゥス・パパエ)》という27命題集が作成された75年から,俗人による聖職叙任も聖職売買に当たるとして禁止されたから,それを重要な政策としたハインリヒ4世との対決が深まり,76年皇帝は教皇の廃位を,教皇は皇帝の破門を宣言し叙任権闘争は激化した。…

【私有教会】より

…しかし,私有教会制そのものに批判の目が向けられるようになったのは,10世紀末以降のことである。とくに,教皇グレゴリウス7世の時代には,私有教会それ自体がシモニアであると考えられ,教会規律の修復および教会組織の再編の両面において,その克服が教会改革の中心的課題とされた(グレゴリウス改革)。私有教会制は,これらの改革運動を経て,国王直属の司教教会や大修道院については12世紀初めの叙任権闘争により,下級教会については12~13世紀に私有教会権を教会法中に吸収するために創設された教会保護権jus patronatusおよび編入incorporatio(またはunio)の制度によって,それぞれ消滅させられた。…

※「グレゴリウス改革」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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