キリスト教の神や聖人、できごとなどをたたえる歌。カトリック教会で用いられてきた賛歌と同義であるが、一般にプロテスタント教会の宗教歌をさす場合が多い。その源泉は、すでに『旧約聖書』の詩篇(しへん)やカンティクルcanticleとよばれる叙情的な歌(たとえばモーセの歌――「出エジプト記」15章1~18)にもみいだされる。
[磯部二郎]
初期キリスト教時代の聖歌の実態には依然不明な部分が多いが、パウロの書簡(「エペソ書」5章19、「コロサイ書」3章16)には、「詩篇」「賛美の歌」「霊の歌」の記述があり、これらは当時の聖徒によく知られていた歌の種類と考えられている。そのなかの「賛美の歌」(ギリシア語でヒュムノス)は、広義の「聖歌」よりもむしろ、聖書の原文を自由にパラフレーズするなどして創作された、音節的(一つの音節に1音符があてられる)詩歌とみられている。このキリスト教的ヒュムノスの発展に最初に貢献した土地はシリアで、3世紀以来多くの詩人を輩出した。なかでもエデッサ(現トルコのウルファ)のエフラエムEphraem(306ころ―373)は指導的存在で、キリスト教賛美歌の父といわれている。ヒュムノスの創作とそれを用いる典礼は急速にキリスト教世界に浸透していくが、とくにビザンティン帝国では、5世紀から11世紀ごろにかけて賛美歌創作のうえで繁栄をみた。
一方、西方教会においても、ローマ司教権の増大に伴い、4世紀にはラテン語による賛美歌がつくられ始めた。とくにミラノの司教アンブロシウス(397没)は、ラテン語賛美歌の基礎を築いた人物として重要である。ラテン語による賛美歌はイムヌスhymnusとよばれたが、東方典礼においてヒュムノスがあらゆる聖歌に対して用いられたのとは異なり、聖務日課のなかで歌われた特定の聖歌をさすようになった。西方教会におけるイムヌスの歌唱は、長い間警戒されていたものの、典礼の統一・整備が進むにつれ、そこに取り入れられていった。キリスト教がヨーロッパ各地に伝播(でんぱ)していくと、民衆的な宗教歌ラウダlaudaをはじめ非典礼的な賛美歌が多数生まれるとともに、13世紀以後多声の賛美歌も作曲されるようになった。
[磯部二郎]
このように中世以来の賛美歌の伝統は着実に受け継がれていくが、賛美歌創作に新たな情熱が吹き込まれたのは、16世紀の宗教改革運動によってである。神の前に信徒はみな祭司であるとする宗教改革の理念に従い、ルター以後ドイツ福音(ふくいん)教会においては、自国語による平易な会衆賛美歌(コラール)が多数生み出された。このコラールの旋律の起源には、従来のカトリック聖歌に拍子付けし、ラテン語をドイツ語に訳したものや、宗教改革以前から存在したドイツの宗教歌、ドイツの古歌をパラフレーズしたもの、および純粋な創作歌などがあり、礼拝用の音楽を狭い範囲に限定しなかったルターの信念がうかがえる。これに対し、フランスのカルバンは、礼拝において主要な地位を占めるべきは神のことばであるとして、創作歌としての賛美歌の使用に反対し、フランス語韻文訳の詩篇を用いた。
自国語への詩篇韻文訳の試みはイギリスにも波及し、やがて創作賛美歌も数多くつくられるようになった。18世紀から19世紀にかけて、イギリスでは賛美歌の黄金時代を迎えたといわれている。またアメリカの賛美歌は、当初イギリスの影響を強く受けたが、19世紀ごろから独自の性格を示し始め、信仰復興運動による「福音唱歌」や、社会の改造に重点を置いた「社会的賛美歌」が生まれた。
[磯部二郎]
日本における賛美歌は、カトリックの場合16世紀のキリシタン時代にさかのぼるが、1933年(昭和8)には『公教聖歌集』が生まれている。プロテスタントでは、1872年(明治5)のアメリカ人宣教師による邦訳の賛美歌以来、各教派がそれぞれ個別に賛美歌集を出していたが、1903年(明治36)には各派共通の『讃美歌』が誕生した。この歌集にはまだ英米賛美歌の影響が強かったが、1931年(昭和6)の改訂、さらに54年(昭和29)の改訂を経て、97年(平成9)に『讃美歌21』ができあがった。これは聖公会の『古今(こきん)聖歌集』とともに、日本のプロテスタント賛美歌の中心をなしている。
[磯部二郎]
『セシリア・M・ルーディン著、安部赳夫訳『賛美歌物語』(1985・いのちのことば社)』▽『大塚野百合著『賛美歌・聖歌ものがたり』(1995・創元社)』▽『手代木俊一監修『明治期讃美歌・聖歌集成』全42巻(1996~98・大空社)』▽『大塚野百合著『賛美歌と大作曲家たち』(1998・創元社)』▽『手代木俊一著『讃美歌・聖歌と日本の近代』(1999・音楽之友社)』▽『日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌21略解』(1998)、『讃美歌21(交読詩編付き)』再版(2000)、『讃美歌21選曲ガイド』(2001)』▽『横坂康彦著『現代の賛美歌ルネサンス』(2001・以上日本基督教団出版局)』
キリスト教における神や聖人に対する賛美の歌。ギリシア語のヒュムノスhymnosに由来し,賛歌と本来は同義であるが,賛歌がカトリックの特定の典礼歌を指すのに対して,賛美歌は民衆的な賛美の歌をいい,宗教改革後プロテスタントの賛美歌が多く作られた。礼拝や集会の際に,全会衆が唱和する賛美歌は,歌詞には自国語が用いられ,内容も旋律も平明で親しみやすく,民謡に類似した性格がおのずから求められる。
旧約聖書に散見される韻文は,《詩篇》とともに賛美歌の祖と考えられ,キリスト教がヘレニズム文化圏に伝えられた際の賛美歌の断片も残存するが,いずれも音楽の実体は不明である。キリスト教がローマ帝国の国教になり,ローマ司教の勢力範囲内では,初めは単旋律の,後には複旋律のラテン語の賛美歌が作られた。西方の典礼の統一と整備に伴い,諸地域の賛美歌はその中に吸収されてゆく。やがてキリスト教はアルプスの北方に定着し,北欧諸言語による賛美歌が出現する。中世のドイツのライゼLeise,北欧のクリスマス・キャロルをはじめ,イタリアのラウダlauda,ポルトガル,スペインのカンティガcantigaなどが隆盛をみた。
16世紀の宗教改革は賛美歌史上に新たな局面をもたらし,とくにドイツのコラール,カルバン派やイギリスの詩篇歌など,カトリック典礼音楽となんらかのかかわりを保ちつつも,自国語による各国各派固有の賛美歌が飛躍的な進展をみた。とりわけ18,19世紀のイギリスでは,韻文訳《詩篇》の付曲のほかに,賛美歌創作が各宗派で盛んに試みられ,賛美歌黄金時代を築いた。アメリカにおいても創作賛美歌が盛んで,19世紀に数々の名曲を残すとともに,福音唱歌(ゴスペル・ソング)や黒人霊歌が生み出された。
日本の賛美歌は,1874年(明治7)に最初の賛美歌集が現れて以来,急速な進捗を遂げ,1903年〈賛美歌委員会〉が組織され,国文学者,別所梅之助(1871-1945)やイギリスの宣教師G.オールチン(1852-1935)らによって従来各派で別途に編集されていた歌集が一本化されて,全483編を収録した《さんびか》が誕生した。時代の要請とともに津川主一(1896-1971)らによって31年大幅な増補改訂が行われた《賛美歌》が出版され,この版には日本語の創作詩,日本人の作曲も初めて収録された。第2次世界大戦下には,時局に不適とされた曲が削除されたりしたが,41年設立された〈日本基督教団〉の賛美歌委員会が戦後5ヵ年の歳月をかけて全面的に改訂し,54年秋,全567編からなる《賛美歌新版》を発行した。収録曲の原曲を通覧すると,古今東西の賛美歌の歴史そのものの感が深く,内容は実に多彩である。広く愛唱されている曲として《きよしこのよる》《もろびとこぞりて》(キリストの降誕),《よろこべや,たたえよや》(キリストの生涯。ヘンデルのオラトリオ《ユダス・マカベウス》よりの編曲),《血しおしたたる主のみかしら》(受難のコラール),《あめには御使い,喜びうたえ》(キリストの昇天。ベートーベンの《交響曲第9番》,シラーの頌歌の編曲)等々と枚挙にいとまがない。教会の礼拝用を主目的とした現行の1954年版のほかに,同委員会では67年一般用として《賛美歌第二編》を刊行した。また日本聖公会は賛美歌集の歩みに独自の歴史をもつが,1959年聖公会宣教100年を期し,辻荘一(1895-1987)を含む委員会によって《古今聖歌集》を刊行している。
執筆者:正木 光江
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…改革派を基盤として新たに生まれた音楽は,《詩篇》の韻文訳に簡素な4声体の和声付けをした詩篇歌のみである。しかし,その音楽的スタイルが,あとに続くプロテスタント諸派の〈賛美歌〉の源流となった事実には,注目しなければならない。 プロテスタントの離反によって痛手を受けたカトリックは,17世紀に入ると,信徒の教化の手段として,当時新たに興って人気を集めていたオペラの劇的様式に注目し,それを宗教的題材に適用してオラトリオを創始した。…
※「賛美歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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