クーデンホーフ・カレルギー(読み)くーでんほーふかれるぎー(英語表記)Richard Nikolaus Coudenhove-Kalergi

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

クーデンホーフ・カレルギー
くーでんほーふかれるぎー
Richard Nikolaus Coudenhove-Kalergi
(1894―1972)

オーストリア出身のヨーロッパ統合運動家。駐日オーストリア公使の父と日本人の母(青山みつ)との間に東京で生まれる。ウィーン大学卒業後、1923年に雑誌『パン・ヨーロッパ』を刊行して、ヨーロッパ統合運動を提唱した。彼の主張は、ドイツ・フランス両国の和解を軸にして、旧ソ連を除いたヨーロッパ諸国が連邦を形成し、ヨーロッパの勢力蘇生(そせい)を図ろうというもので、フランスのエリオ首相(ヨーロッパ合衆国案、1925)やブリアン外相(ヨーロッパ統合案、1929)の先駆となった。ナチス・ドイツによるオーストリア合併後はアメリカに亡命したが、第二次世界大戦後帰国してふたたび統合運動を推進し、ヨーロッパ共同体(EC)の基礎を築いた。

[藤村瞬一]

『鹿島守之助訳『クーデンホーフ・カレルギー全集』全9巻(1970~1971・鹿島出版会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

クーデンホーフ=カレルギー
Coudenhove Kalergi, Richard Nikolaus

[生]1894.11.16. 東京
[没]1972.7.27. オーストリア,シュルンス
汎ヨーロッパ運動家。もとオーストリア,のちフランス国籍。父がオーストリア人で母は日本人。哲学博士。ウィーン大学卒業。 1922年ヨーロッパ統合運動を提唱。 26年汎ヨーロッパ・ユニオン組織,以後総裁。 38年ナチスの手からフランスに逃れ,翌年国籍取得。 40年アメリカへ亡命。 46年帰欧。 47年ヨーロッパ議員連盟を結成,今日のヨーロッパ連合 EUに発展する統合化への基礎を築いた。主著"Paneuropa" (1923) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説

クーデンホーフ=カレルギー Coudenhove-Kalergi, Heinrich

1859-1906 オーストリアの外交官
伯爵。明治24年(1891)オーストリア-ハンガリー帝国公使として来日し,25年青山光子と結婚。29年光子をともなって帰国。次男リヒャルトはヨーロッパ統合運動の提唱者として知られる。1906年5月14日死去。47歳。

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