グラムシ(読み)ぐらむし(英語表記)Antonio Gramsci

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グラムシ」の意味・わかりやすい解説

グラムシ
ぐらむし
Antonio Gramsci
(1891―1937)

イタリアの政治家、共産主義思想家。1月22日、サルデーニャ島のアルバニア系官吏の家庭に生まれる。幼児のころ事故により終生の身体障害となり、貧苦の少年時代を過ごした。奨学金を得てトリノ大学に入り(1911)、言語学を専攻。学生時代にイタリア社会党に入党し(1913)、まもなくジャーナリストの活動に熱中する。トリノの労働者蜂起(ほうき)(1917~1918)のあと、そこの党支部執行委員会書記になった。ロシア革命の主意主義的性格に深く共鳴し、イタリアのソビエト運動を目ざして工場評議会を構想する。

[重岡保郎]

『オルディネ・ヌオーボ』の時代

工場評議会運動のためにタスカAngelo Tasca(1892―1960)、トリアッティらとともに1919年5月、週刊誌『オルディネ・ヌオーボ』を発刊。この運動は翌1920年秋の工場占拠の敗北挫折(ざせつ)するが、このときの党指導部の態度からグラムシら党内共産主義派は分裂を決心する。1921年1月イタリア共産党が創設され、グラムシは中央委員に選ばれた。1922年5月にモスクワに行き、コミンテルン(共産主義インターナショナル)執行委員になった。翌1923年末にはウィーンに移ったが、モスクワ滞在中、ジュリア・シュヒトと会い、結婚した。1924年春イタリアの下院議員に選出され、逮捕されない保障が生じたのち帰国した。

[重岡保郎]

共産党書記長の時代

書記長ボルディーガを中心とする共産党指導部は、社会党との再統一を勧告するコミンテルンの統一戦線政策に最初から反対したため、コミンテルン執行委員会はイタリアの党指導部の改編を推進した。ボルディーガにかわって書記長になった(1924.8)が、両者のおもな違いはファシズムの認識と先進国革命の展望との相違にあった。民主的諸勢力との同盟の必要を認めたグラムシは、統一戦線政策を受け入れ、コミンテルンの支持を背景にボルディーガのセクト主義を排して党の指導権を握るに至った。1926年1月リヨンで行われた第3回党大会は、グラムシが主として起草したテーゼを承認し、党活動の基本的方向を定めた。同年10月、ソ連共産党内の派閥闘争について、イタリア共産党政治局の名で危惧(きぐ)と忠告を表明した手紙をソ連共産党中央委員会に送った。

[重岡保郎]

獄中時代

1926年11月ファシズムの「特別法」の施行により、国会議員でありながら逮捕され、各地の拘置所や監獄を転々とする死への旅路が始まる。1928年6月に特別裁判所から懲役20年4か月の判決を受けた。刑期はその後短縮されたが、彼の病弱な肉体はトゥーリ監獄(1928.7~1933.11)での虐待と非衛生的な環境によって致命的に衰弱し、1933年末から入院治療を受けたが、健康は回復せず、1937年4月27日クィシサーナ病院で死去。獄中で(1929以降)書いたノートは32冊に上ったが、第二次世界大戦後のイタリアで出版され、大きな反響をよんだ。哲学、歴史、文学から宗教、政治に至る驚くべき多方面の文化現象に対する深い考察からなるこのノートの内容は、きわめて独創的なマルクス主義思想といわれるが、それは、文化と知識人の役割、国家論ヘゲモニーの理論といった従来未開拓の上部構造の分野に新たな照明を与えた点でとくに注目されている。

[重岡保郎]

『石堂清倫訳『グラムシ獄中ノート』(1978・三一書房)』『G・フィオーリ著、藤沢道郎訳『グラムシの生涯』(1972・平凡社)』『J・ジョル著、河合秀和訳『グラムシ』(1978・岩波書店)』『松田博責任編集『グラムシ「獄中ノート」著作集』全7巻・別巻2(2011~ ・明石書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グラムシ」の意味・わかりやすい解説

グラムシ
Gramsci, Antonio

[生]1891.1.23. サルジニア
[没]1937.4.27. ローマ
革命家。トリノ大学在学中に革命運動に参加し,1921年イタリア共産党の創立に参加。 22~23年コミンテルン執行委員としてモスクワに滞在し,帰国後 P.トリアッチと組んで指導部を掌握し,書記長,国会議員として反ファショ闘争の指導を行なったが,26年に逮捕され,獄中で死亡した。膨大な獄中ノートは哲学,国家論,文化論,文学論など多岐に及び,戦後いわゆる構造改革の理論や運動に大きな影響を与えるとともに,西欧マルクス主義,ネオマルクス主義の重要な源泉となった。

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