イタリア北西部,ピエモンテ州の州都でトリノ県の県都。人口90万2255(2004)。ドーラ・リパリア川がポー川に合流する地点にあり,東部には丘,北西部にはアルプスが連なる。ポー平原の西端に位置し,イタリア半島とフランスを結ぶ交通の要地を占める。旧サルデーニャ王国の首都としてかつては行政都市だったが,19世紀末以来のめざましい工業化によりミラノに次ぐイタリア第2の工業都市となった。
ローマの軍事植民市アウグスタ・タウリノルムAugusta Taurinorumとして建設され,6世紀にランゴバルドの公領,8世紀にフランクの伯領となる。9世紀以降領有をめぐって抗争が続き,1131年にサボイア家がトリノ伯を名のったが,すぐに追放され,36年神聖ローマ皇帝の保護のもとに自治都市(コムーネ)となった。この後1世紀以上に及ぶサボイア家との抗争が繰り返され,1280年最終的に同家の領有に帰した。初め傍系のアカイア家が支配し,大学の設立(1404)などをみたが,1418年アメデオ8世のときサボイア公国に統合され,サボイア家の東方進出の拠点となった。16世紀にしばらくフランスに占領されたが,1563年エマヌエレ・フィリベルトが奪回し,サボイア公国の首都とした。これ以降17世紀を通じて都市整備と建築活動が進み,今に残るバロック様式の中心街が形成された。建物は2階に所有者の貴族,3階は奉公人,4階には手工業者,小商人が住むという構造で居住階数と社会階層の間に対応関係がつくられていた。18世紀に入るとしだいにブルジョアジーが市内の土地を入手して建物を建て始め,商工業も活発化した。スペイン継承戦争中の1706年,フランス軍の攻撃をうけて包囲されたが,激しい攻防の末に危機を脱した。20年サボイア家がサルデーニャ王位を得てサルデーニャ王国となり,首都トリノは政治・経済・文化の中心地としてその重要性を高めた。19世紀の初めナポレオンによってフランスに併合されたが,ウィーン会議で旧に復した。1848年革命でこの地に議会が開設され,マダマ宮殿Palazzo Madamaに議場が置かれた。現在も市の中心部のカステロ広場にあるマダマ宮殿は,トリノの代表的な歴史建築物で,アウグストゥス時代の城砦の一部を基礎に幾世紀にもわたる増築・補修が重ねられ,とくに18世紀の建築家ユバラの手になる西側正面の部分は均整のとれた美しさで知られる。1848年革命以降,トリノにはイタリア各地からの政治亡命者が集まり,リソルジメントの中心地となった。
1861年サルデーニャ王国の主導でイタリア統一が実現し,トリノはイタリア王国の首都となった。だがその期間は短く,64年首都はフィレンツェに移され,これに反対する市民の暴動が起こった。伝統的な首都機能を失ったトリノは,この後しばらく沈滞する。しかし,世紀末から豊富な水力発電を利用した機械・金属工業が盛んとなり,新たに工業都市としてよみがえった。なかでも99年に従業員50名で出発した自動車工場フィアット(FIAT)は急速に規模を拡大して有数の企業に成長し,経営者のアニェリ一族は政・財界に強い影響力を及ぼす地位を占めた。工業の発展とともに市の周辺部に向かって労働者街が形成され,都市の規模が広がった。この間,人口は1861年の20万4000から1901年33万5000,21年50万2000へと増加した。労働運動・社会主義運動も活発化し,全国的な最大拠点の一つとなった。第1次大戦中の1917年8月,食料と平和を求める民衆暴動が発生して50人余の死者を出し,また大戦後の20年9月労働者による工場占拠が試みられた。これと並んでグラムシやゴベッティら若い知識人たちの活躍がみられ,前者は《オルディネ・ヌオーボ(新秩序)》誌,後者は《自由主義革命》誌を発行して,それぞれに文化運動と労働運動の結合に努めた。ファシズム体制下の43年3月,トリノを出発点としたストライキが北イタリアに広がりファシズム崩壊の引金となったが,これは第2次大戦下のヨーロッパにおける最初の大規模なストライキであった。43年9月ドイツ軍に占領されると,市民の間にレジスタンスが広がり,45年4月総蜂起によって市を解放した。第2次大戦後の復興期を経て,50年代のいわゆる〈イタリア経済の奇跡〉はトリノの工業活動に強い刺激を与え,フィアットの自動車生産を軸に,金属,機械,電機,化学,繊維,衣服,ガラスの諸部門の発展をみた。これに並行して,ピエモンテの山岳・丘陵地帯からの人口流入と南部からの大量の国内移民の流入があり,住宅,教育,医療,治安など新たな都市行政の問題が重要となった。労働者の構成も多層化し,労働争議も数多く発生している。また,この地の学芸・文化の動向は多方面から注目を浴び,トリノ大学,ゴベッティ文化研究センター,出版社エイナウディなどを通じて特徴ある文化活動が展開されている。
執筆者:北原 敦
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イタリア北西部、ピエモンテ州の州都で、商工業都市。英語名チュリンTurin。人口85万7433(2001国勢調査速報値)。コツィエ(コチエンヌ)・アルプスとグライエ・アルプスの東麓(とうろく)、ドーラ・リパーリア川がポー川に合流する地点の標高239メートルに位置する。同国とフランス、スイスとを結ぶ鉄道・道路網の要衝である。1899年ヨーロッパ最大級の自動車会社フィアット(FIAT, Fabbrica Italiana Automobili Torino)の創設と、ドーラ・リパーリア川での大水力発電所の建設を契機として、イタリアの経済発展を支える中心的工業都市となった。第二次世界大戦では大きな被害を受けたが、戦後の高度成長の過程で、花形輸出産業である自動車工業を中心に、関連諸工業が著しく発展した。その間大量の労働者が他地域から移入し、1951年に約72万であった人口は、71年には約117万人に急増した。しかし、1980年代になると減少に転じ、以降人口は減少傾向が続いている。ローマ時代からの伝統的遺産として、碁盤目状の整然とした町並みを有し、サボイア家に縁のある17~19世紀の歴史的建築物が多く残り、その一部は現在、博物館などに利用されている。たとえば17世紀の王宮には、カルロ・アルベルト王Carlo Alberto(1798―1849)によって1830年ごろ開設されたサバウダ武器博物館があり、マダマ宮殿には古代美術博物館がある。17世紀のカリニャーノ宮殿は最初のイタリア議会開催地で、今日では国立リソルジメント博物館としても利用されている。17世紀の科学アカデミー宮殿にはサバウダ美術館とエジプト博物館がある。そのほかにも、15世紀の大聖堂、18世紀のスペルガ教会、1404年創設の大学などがある。
[堺 憲一]
古代ローマの植民地として建設されたが、紀元前218年にハンニバルによって破壊された。5世紀にはアラリック率いる西ゴート人がポー川流域平野に侵入し、6世紀後半にはランゴバルド人の支配下に置かれた。754年春にフランク軍がランゴバルド軍を破り、トリノに侵入した。773年にはシャルルマーニュ(カール大帝)の軍隊が占領した。12世紀初頭にはコムーネ(自治都市)がおこり、農業の中心地でありながら商業の発展がみられた。続いて、サボイア家のアメデオ3世の支配するところとなり、ドイツ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)と戦った。15世紀には、サボイア家が、トリノを政治・軍事の中心地として、反フランスの立場をとった。17世紀初頭にフランスとスペインの闘争の舞台となり、結局フランスの支配下に置かれた。1799~1814年のナポレオンの支配下では、聖職者の特権廃止やユダヤ人に対する市民的平等などの政策が行われた反面、フランスの政治的、経済的利害が優先され、市民はその犠牲となった。王政復古後、トリノは立憲運動の中心地となり、1821年には革命が起こった。また、カルロ・アルベルト王の登場でイタリアの穏和的自由主義運動が活発となり、49年以後はトリノ生まれの政治家カブールによって近代的改革が推進された。その結果、イタリアの他の地方からも多くの亡命者が集まり、リソルジメント(イタリア統一運動)の牽引(けんいん)的役割を果たした。イタリア統一達成後、1861年から64年までイタリア王国の首都であった。20世紀初頭からイタリアの経済活動の中心地となったが、このことは労働運動も活発にさせ、1920年9月には工場占拠闘争が起こった。また反ファシズム闘争では、労働者や知識人が激しく戦った。
[藤澤房俊]
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北イタリア,ピエモンテ地方の中心都市。ポー川上流の要衝。前1世紀にローマの植民市とされ,ランゴバルド支配をへてフランクの伯が置かれた。11世紀にサヴォイア家の領土となりその首都とされたが,その後再三フランスの占領支配を受けた。サルデーニャ王国の首都としてリソルジメントの中心となり,1861~65年にはイタリア王国の首都が置かれた。20世紀に入り,自動車をはじめイタリア有数の工業都市として発展。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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