かつてのイタリア共産党機関紙,現在は左翼民主党に近い日刊紙。名称は〈団結〉の意。1924年,グラムシ,トリアッティらによってミラノで創刊され,人民戦線の形成に貢献。第2次大戦終結まで非合法の地下新聞として,反ファシズム闘争に活躍した。戦後は共産党の躍進とともに発展,50年代前半の最盛期にはミラノ,ローマ,トリノ,ジェノバ4都市で印刷,日曜版は100万部を超えた。フランスの《ユマニテ》と並んで,最も有力な西欧共産党機関紙とされた。ベルリンの壁崩壊後のイタリア政界再編成で,共産党が分裂,《ウニタ》は左翼民主党(PDS)に同調したが機関紙ではない(他方,再建共産党は《リベラチオーネ》を創刊した)。ローマ,ボローニャで印刷発行。一般ニュースを掲載,宣伝臭の少ない編集をしているが,昔日の影響力はなく,96年24%の部数減に見舞われ,9万4000部(1997)。
執筆者:小松原 久夫
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イタリア共産党(PCI)の元機関紙。1924年、共産党の創始者アントニオ・グラムシが創刊。ムッソリーニのファシスト政権下では弾圧されたが、第二次世界大戦中地下新聞としてレジスタンス活動に加わった。戦後、書記長トリアッティの指導で党勢が拡大するにつれ発行部数を伸ばし、最盛期の1960~70年代には30万部に及んだ。とくに日曜版は「ウニタ友の会」に支えられ120万部を達成した。90年代なかばに共産党が解体、左翼民主党Partito Democratico della Sinistra(PDS)に改組されるのに伴って、外部資本を導入し独立の経営体となった。しかし左派系の新興紙『レプブリカ』(1976年創刊)の攻勢を受けるなど、発行部数は約5万部までに落ち込み、1000億リラの負債を抱えて2000年7月倒産、発行を停止した。
[小松原久夫]
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…ジョレスが暗殺されて以降は,《ユマニテ》の低迷をマルセル・カシャンが主幹になって立て直した。《ユマニテ》が共産党中央機関紙となったのは20年からだが,以降イタリアの《ウニタ》,中国の《人民日報》,日本の《赤旗》とならんで,日刊の共産党機関紙の代名詞のようになっている。しかし政党機関紙は共産党だけにあるのではない。…
…1901年からメッシナ大学で近代史の講義を担当,05年には《フランス革命》や《マッツィーニの宗教,政治・社会思想》などのすぐれた歴史書を出版する。10年にピサ大学の教授となり,翌年デ・ビーティ・デ・マルコといっしょに週刊評論誌《ウニタ》を創刊(‐1920),反リビア戦争,反保護主義の運動を繰り広げる。同時に,もっぱら北部の工業労働者のみを重視し,南部の農民には救いの手を差し伸べようとしない社会党の政策に対しても強い批判を行い,同党から離脱した。…
※「ウニタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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