イタリア社会党(読み)イタリアしゃかいとう(英語表記)Partito Socialista Italiano

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イタリア社会党」の意味・わかりやすい解説

イタリア社会党
イタリアしゃかいとう
Partito Socialista Italiano

1892年に創立されたイタリアの社会主義政党。議会闘争で成果をあげていたが,1912年に分裂し,革命を主張するマキシマリスト (最大限綱領派) と改良派とに分裂した。第1次世界大戦後マキシマリストの指導者たちは共産主義革命を画策したが,党員大衆は総同盟に指導されていて改良主義的であった。そこで 21年にマキシマリストは脱党して,レーニン主義を奉じる共産党を結成した。また 22年に改良派も社会党を出て,統一社会党をつくった。残存した社会党は 26年に B.ムッソリーニによって解散を命じられたので,党員の多くは亡命して統一社会党に合流し,地下活動によって命脈を保った。 43年「プロレタリア統一社会党」の名で (のち,社会党と改称) 党は再建されたが,47年 G.サラガートの率いる社会民主主義派 (右派) が分裂して社会統一労働党 (1951年社会民主党と改称) を結成。 P.ネンニを指導者とする社会党はしばらく共産党と統一協定を結んだが,56年から右旋回を開始し,63年にはキリスト教民主党とともにモロ中道左派連立内閣をつくった。これに対しベンキエッティら党内左派は右旋回を不満として脱党,プロレタリア統一社会党を結成したが,右派主流派はさらに,66年社会民主党と 19年ぶりに合体,共産党と袂を分った。 68年5月の総選挙で敗北後,左右両派の対立が激化し,69年7月右派は再び脱党,統一社会党 (71年社会民主党と改称) を結成した。 76年7月の総選挙では敗れ,F.デマルチーノが書記長を辞任し,そのあとを継いだ B.クラクシ書記長は 83年6月の総選挙で勢力を伸ばし首相に就任した。クラクシは 16年間書記長の地位にあったが,93年2月汚職容疑で辞任。 O.デルトゥルコを後任の書記長に選出。 95年「オリーブの木連盟」に参加し,96年以降連立内閣の一翼をになっている。機関紙『前進Avanti

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