グンプロビチ(その他表記)Ludwig Gumplowicz

改訂新版 世界大百科事典 「グンプロビチ」の意味・わかりやすい解説

グンプロビチ
Ludwig Gumplowicz
生没年:1838-1909

オーストリア社会学者。ポーランドクラクフに生まれ,ウィーン大学で法律学を学ぶ。1863年〈若きポーランド〉運動などの政治活動をする。1869年以降雑誌《クラージKraj(国家)》などの編集に携り,75年グラーツ大学の行政学講師となり(83年員外教授,92年教授),癌のため妻と自殺するまで在任した。彼はダーウィンの生存競争説やスペンサー社会進化論の強い影響のもとに,社会は集団間の対立闘争を通して,強者弱者を征服し,支配する形で発展するという〈社会ダーウィニズム〉の歴史観をとった。この集団間闘争は,当初は外部的集団間の闘争であるが,その結果,武力支配と制度化によって国家が成立し,階級分化が生じ,しだいに闘争は内部化され,果てのない階級闘争が続けられるとした。著書に《民族闘争論》(1883),《社会学的国家観》(1892)などがある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グンプロビチ」の意味・わかりやすい解説

グンプロビチ
Gumplowicz, Ludwig

[生]1838.3.9. クラクフ
[没]1909.8.19/20. グラーツ
集団中心主義的で,かつ社会進化論的な立場を取ったオーストリアの社会学者。社会の発展や国家の成立過程を,集団内の闘争から説明した。主著人種と国家』 Rasse und Staat (1875) ,『人種闘争』 Der Rassenkampf (83) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のグンプロビチの言及

【社会進化論】より

…生得的能力差と生存闘争が人間社会の基本だとするヘッケルの社会観には,ドイツの社会ダーウィニズムの虚無的な性格がよく表れている。そしてヘッケル以外にも,L.グンプロビチ,ラッツェンホーファーG.Ratzenhoferの闘争を重視する社会学派,シャルマイヤーW.SchallmayerやプレッツA.Ploetzの優生学的主張,A.アモンのような楽天的な競争社会観など,多くの生物学主義的社会理論が輩出した。なかでも1900年の〈国家の国内政策の発展およびその立法に関して,われわれは進化論の原理から何を学ぶか〉というA.クルップの懸賞問題は,この思想の広範な浸透を象徴する事件として有名である。…

※「グンプロビチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android