改訂新版 世界大百科事典 「若きポーランド」の意味・わかりやすい解説
若きポーランド (わかきポーランド)
Młoda Polska
ポーランド文学・芸術史上の一時期の名称で,1890年から1918年までをいう。この名は1898年にクラクフの週刊誌《生活》に掲載されたアルトゥル・グルスキの記事の標題に由来するもので,同時代の〈若きドイツ〉や〈若きスカンジナビア〉との類比からこのように呼ばれる。基本的には西欧モダニズムの流れを汲むが,他と比べてロマン主義との結びつきが強く,新ロマン主義とも呼ばれる。〈若きポーランド〉の綱領は,ベルリンのボヘミアン社会から戻ったプシブイシェフスキStanisław Przybyszewski(1868-1927)が発表した《コンフィテオル》(1899)やプシェスムイツキZenon Przemycki(1861-1944)の記事に表現されており,芸術の自立的価値に対する信念(〈芸術のための芸術〉)から,芸術のいっさいの功利主義に反対し,デカダン主義を主張した。またロマン主義(とりわけJ.スウォバツキ)の理想を出発点とし,魂と絶対への服従を唱え,新しい表現手段として象徴をとりあげた。しかし〈若きポーランド〉の文学は20世紀に入るとともにS.ジェロムスキやS.ビスピャンスキらの愛国的・社会的理念を基調とする作品が主流となっていった。この時期は美術(マルチェフスキJacek Malczewski,ボイトキェビチWitold Wojtkiewicz,ザコパネ様式など),音楽(K.シマノフスキなど)の分野でも多くの優れた作品を生んだ。
執筆者:小原 雅俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報