カルロス3世(読み)カルロスさんせい(その他表記)Carlos III

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルロス3世」の意味・わかりやすい解説

カルロス3世
カルロスさんせい
Carlos III

[生]1716.1.20. マドリード
[没]1788.12.14. マドリード
スペイン王 (在位 1759~88) 。フェリペ5世イサベル・ファルネセの長男。初めパルマ,ピアチェンツァ,両シチリアを支配したが,異母兄フェルナンド6世の死によりスペイン王を継承。啓蒙専制君主として側近に開明派のアランダ伯,フロリダブランカ伯,カンポマネス伯を選んでイエズス会士の追放をはかり,教会を国家に従属させることによって,国王至上権とその利害関係を脅かす障害を取除いた。また行政・経済改革を断行し,ハプスブルク家出身の国王によって行われていた会議制度を省庁制度に変え,さらに王の側近の手に権力を集中することにより,政治は精彩を帯び,税制国防,地方行政は改革された。一方経済改革においては国内工業に保護を加え,植民地貿易に自由貿易の道を開いた。これらの処置は,国の内外の経済に活気を与え,本国と植民地間の船舶は急速に増加した。しかし外交面では,イギリス植民政策の攻勢への対処に苦慮し,フランスと第3次一族協約を締結 (61) ,その結果七年戦争に巻込まれ,1763年のパリ条約でスペインはミシシッピ川以東のフロリダをはじめ北アメリカの全領土をイギリスに割譲した。このような外交的敗北を受けたにもかかわらず,アメリカ独立戦争の際にはイギリスに干渉せず,イギリスの植民地にも直接支援を与えなかった。 83年ベルサイユ条約でフロリダを回復した。

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改訂新版 世界大百科事典 「カルロス3世」の意味・わかりやすい解説

カルロス[3世]
Carlos Ⅲ
生没年:1716-88

フェリペ5世とファルネーゼ家出身のイサベルとの間に生まれた長子(フェリペ5世の第5子)。異母兄フェルナンド6世の死によって,ナポリ国王(在位1734-59)からスペイン国王(在位1759-88)として迎えられた。啓蒙専制君主で,優れた人材を登用し,数々の改革を実施した。なかでも,軍職の整備をはじめとする軍(特に海軍)の改革,および公共事業に功績を残し,現在マドリードにある歴史建築物の多くは,彼の時代に建てられた。しかし,カトリック教徒でありながら,中南米を含むスペイン領土からイエズス会士を追放(1767)したため,バチカンとの間に緊張関係をもたらした。また,イギリスに対抗するため,フランスへの接近政策(家族協約,1761)を試み,七年戦争終結のため結ばれたパリ条約(1763)では,イギリスにフロリダを譲与し(1783回復),フランスからルイジアナを譲り受けた。一方,植民地政策では破綻をきたし,ペルーをはじめとする中南米諸国の独立運動を押しとどめることはできなかった。
ラテン・アメリカ[歴史]
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カルロス3世」の解説

カルロス3世(カルロスさんせい)
Carlos Ⅲ

1716~88(在位ナポリ‐シチリア王1734~59,スペイン王1759~88)

ナポリ‐シチリア王としてはカルロス4世。スペインの啓蒙専制君主で,カンポマネスなどの改革派官僚を登用。エスキラチェ暴動七年戦争の教訓から,新村落開拓事業,産業振興,アメリカ植民地政策の建て直しなどの社会経済的改革を行い,国王教権主義にもとづきイエズス会士追放などの教会改革も行ったが,その改革は伝統的社会制度の枠組みを超えるものではなかった。

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367日誕生日大事典 「カルロス3世」の解説

カルロス3世

生年月日:1716年1月20日
スペイン王(在位1759〜88)
1788年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のカルロス3世の言及

【イエズス会】より

…ヨーロッパ人入植者を排除し,イエズス会士と原住民によるキリスト教信仰の実践と原始共産生活の融合は,16世紀人文主義者のユートピア論を思わせる壮大な社会実験であった。しかし王権至上主義を掲げて教皇庁と対立するカルロス3世は,1767年スペインとその海外領土から全イエズス会士の追放を命じた。スペイン領インディアスからは2630名が追放された。…

【スペイン】より


[スペイン継承戦争]
 スペインの18世紀は,このような状況下で,スペイン継承戦争を端緒に始まった。この戦争は,カルロス2世(在位1665‐1700)の死後に空位となったスペインの王座とヨーロッパの覇権をめぐる列強間の国際的な戦いであると同時に,スペイン国内では,1939年までやむことなく続く内戦のプロローグであった。フランスの中央集権国家体制をスペインに移植することを意図したカスティリャ王国は,フランス王ルイ14世(王妃はカルロス2世の姉マリア・テレサ)の孫アンジュー公フィリップを擁立した。…

【バルセロナ】より

…しかし,15世紀後半から16世紀のバルセロナは,フェルナンド2世の外交・内政両面における巧みな政策により,平穏を取り戻した。またカルロス1世(カール5世)とカタルニャは非常に親密な関係を保ち,国王自身もたびたびバルセロナに滞在した。 17世紀になると,それまで国王が諸都市の自治を承認した上で維持されていた国王と諸都市との協調関係を突き崩す二つの危機が訪れ,ひいては19世紀末からのカタルニャ地方とマドリードの中央政府との対立を生じさせる起因となった。…

【マドリード】より

…ラ・ビリャ・イ・コルテ(村と王宮)と呼ばれたマドリードの中心は現在のマヨール広場Plaza Mayorで,柱廊とバルコニーのある建物に取り巻かれ,ここで闘牛や異端審問や処刑などが行われた。 2回目の都市拡大はカルロス3世時代(在位1759‐88)に行われ,18世紀末には人口は15万6672を数えた。王宮,アルバ伯公爵邸,トレド橋,アルカラ門などが建てられ,マドリードで起きた事件は全スペインに影響を及ぼすようになった。…

【メキシコ】より

… 18世紀に入るとメキシコは新たな銀ブームを迎え,経済活動が活発となった。とくに啓蒙君主として知られるスペイン国王カルロス3世の時代に実施された〈ブルボン改革〉と呼ばれる行政改革と産業振興政策は,メキシコの発展に大きな影響を及ぼした。貿易自由化政策はメキシコの貿易を増大させ,経済の繁栄は多くの新移民をスペインからもたらし,植民地社会を活発化させた。…

※「カルロス3世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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