サポテカ文化(読み)さぽてかぶんか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サポテカ文化」の意味・わかりやすい解説

サポテカ文化
さぽてかぶんか

メキシコ南部オアハカ地方を中心に栄えた古代文化。オアハカ市北西のエトラ盆地では、紀元前1500年ごろから、地下水を利用した灌漑(かんがい)農耕が始まって、前1200年以後はオルメカ文化の影響も顕著に現れ、小祭祀(さいし)センターを伴った集落がいくつも形成された。サポテカZapoteca文化が発展期に入るのは、前500~前400年にオアハカ盆地西部の丘陵モンテ・アルバンに大神殿センターの建設が始まって以後のことである。その主要建造物は前200~後100年の間に形成され、100~600年には最盛期に入った。

 700年以後、モンテ・アルバンの人口は徐々に減少し、オアハカ盆地のサアチラミトラ、ランビティエコ、ヤグールなどに新しい祭祀センターがおこった。1000年ごろまでにはモンテ・アルバンは完全に放棄され、オアハカ盆地に侵入してきたミシュテカ人の文化的影響が、ミトラ、ヤグールなどに現れている。

増田義郎


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サポテカ文化」の意味・わかりやすい解説

サポテカ文化
サポテカぶんか
Zapotec culture

3~10世紀にかけてメキシコ南部オアハカ渓谷にあるモンテアルバンを中心として栄えたサポテカ族の文化。地理的にもメキシコ中央高原とマヤ地帯の中間に位置し,テオティワカン文化マヤ文明の影響を受けていた。中心地には巨大な祭祀センターが築かれ,それを囲む神殿群,その背後墳墓土偶などにサポテカ文化特有の芸術様式がみられる。マヤ新帝国が誕生した頃,モンテアルバンはミシュテカ族に占拠され,サポテカ文化に終止符が打たれた。

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世界大百科事典(旧版)内のサポテカ文化の言及

【オアハカ文化】より

…メキシコ,オアハカOaxaca州を中心に展開したサポテカ文化とミシュテカ文化をいう。サポテカ文化は,モンテ・アルバン遺跡を中心に,前7世紀ころオルメカ文化の影響を受けつつ誕生した。…

【モンテ・アルバン】より

…メキシコ,オアハカ州のオアハカ盆地にあるサポテカ文化の遺跡。先古典期と古典期においてメソアメリカの先進的文化をもつ都市としての地位を失わなかった。…

※「サポテカ文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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