日本大百科全書(ニッポニカ) 「オルメカ文化」の意味・わかりやすい解説
オルメカ文化
おるめかぶんか
Olmeca
中央アンデス(ペルー)のチャビン文化とともに、アメリカ大陸最古の文化。メソアメリカ文明の母ともいわれる。紀元前二千年紀にメソアメリカに成立した集約農耕に基づいて発生したといわれ、地域社会を精神的に統合する大祭祀(さいし)センターを中心として、メキシコ中央部から中央アメリカ南部に至る地域に広く影響を与えた。代表的な遺跡は、メソアメリカの亜熱帯低地、すなわちメキシコのベラクルス、タバスコ両州に集中し、ラ・ベンタ、サン・ロレンソ、トレス・サポテスなどが有名である。年代はサン・ロレンソがもっとも古く、前1200~前900年に栄えたとされ、その後、前800年ごろからラ・ベンタが興ったと考えられている。それらの神域には大きな石彫、とくに高さ3メートルほどの頭飾りをつけた巨人頭像や、神々の像を表す碑石や、土を盛った祭壇、ピラミッドなどがつくられ、地中から奉納された石製品や石の排水溝なども発見されている。しかもそれらの原料石は近隣で産出せず、遠隔地から運ばれた可能性が強い。したがって、オルメカの祭祀センター建設のためには多くの人間が動員されたと考えられ、当時すでに広域の人口を支配する政治システムが成立していたことが推定される。また、メキシコのゲレーロ州、グアテマラのモタグア川地方などに産する翡翠(ひすい)を材料に小型の石偶や聖斧(せいふ)などが多量に生産され、メソアメリカ各地に分布している点からも、オルメカの祭祀センターを中心とした、巡礼や交易のネットワークが成立していたことが想像される。
[増田義郎]
芸術的特徴と文化的影響
オルメカの芸術スタイルの特徴は、単純な、だが雄渾(ゆうこん)な線によって人物や神像を描き出す点にある。「ベビー・フェース」または「半ジャガー人」とよばれる、ジャガーと人間の融合した顔と体をもつ神像や、蛇の表象などは、オルメカ人の水神信仰と関係があるといわれ、ベビー・フェースから、後のメキシコ文明の主神の一つ、雨の神チャックの顔が合成されたと説く学者もいる。
石彫、碑石、祭壇など、後のマヤ文化と共通の要素が少なくないが、スタイルのうえではかなり相違しており、石の表面を装飾でうずめ尽くすマヤの石彫とちがって、彫刻に空白を残す傾向が強い。オルメカ文化は前200年ごろまでに勢いを失い、その影響を受けたメキシコ中央高原の諸祭祀センターや、オアハカのモンテ・アルバンなどが台頭する。またメキシコ南部太平洋岸に興りグアテマラ高原まで広がったイサパ文化にもオルメカの影響は現れている。そのころメキシコ湾岸地方には、セロ・デ・ラス・メサスという祭祀センターが命脈を保っており、その後の時代まで続くが、この遺跡にはイサパ文化の影響が著しいと同時に、翡翠の聖斧が大量に発見されており、オルメカ文化の影響が依然として強かったことを示している。このセロ・デ・ラス・メサスからは、後のマヤ暦と同じ原理による、点と線を用いた暦表記が発見されていて、西暦に換算すると前31年にあたり、メソアメリカにおける最古の年代表記である。オルメカ文化はイサパ文化に吸収され、やがて古典期マヤ文化の形成につながっていったと解釈されている。
[増田義郎]