サント・マリー・マドレーヌ聖堂(読み)サント・マリー・マドレーヌせいどう[ベズレー](その他表記)Basilique Ste-Marie-Madeleine, Vézelay

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

サント・マリー・マドレーヌ聖堂[ベズレー]
サント・マリー・マドレーヌせいどう[ベズレー]
Basilique Ste-Marie-Madeleine, Vézelay

フランス中部,ヨンヌ県のベズレーにあるベネディクト会聖堂。西のシャルトルと並ぶ中世キリスト教の巡礼地。9世紀にマグダラマリアの聖遺体をこの地に移し修道院を建てたことに始まる。その後聖地として多くの巡礼を集め,11世紀に入るとベズレーはスペインのサンチアゴデコンポステラへ向かう巡礼の起点となった。 12世紀には十字軍遠征の基地となり大いに栄えたが,13世紀に聖遺体がにせものという噂が流れてから衰退の道をたどった。聖堂はロマネスク様式で建てられ,身廊の約 100本の柱頭や玄関廊のティンパヌムにはみごとなロマネスク彫刻が施されている。フランス革命の際に聖堂以外は破壊されたが 19世紀に建築家ビオレ=ル=デュクにより修復された。 1979年に世界遺産の文化遺産に登録。

サント・マリー・マドレーヌ聖堂[パリ]
サント・マリー・マドレーヌせいどう[パリ]
Église de la Madeleine, Ste-Marie-Madeleine, Paris

パリにある 19世紀フランス新古典主義の代表的建築。最初,1764年にラテン十字プランをもつ聖堂建築として設計起工されたが,工事は未完のまま中断。 1806年ナポレオンにより,P.ビニョンの設計に従ってフランス軍戦勝記念堂 Temple de la Gloireに変更された。しかし,ナポレオン没落後,J.ユベーによって再び聖堂に変更されフィリップ治世下の 42年完成。コリント式円柱,フリーズ,破風彫刻などを有する古代グレコ=ローマン様式の円柱式神殿の形式に従った建築。戦勝記念堂としては凱旋門が取って代った。

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