ベネディクト会(読み)べねでぃくとかい(英語表記)Ordo Sancti Benedicti

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベネディクト会」の意味・わかりやすい解説

ベネディクト会
べねでぃくとかい
Ordo Sancti Benedicti

西欧最古修道会広義では「ベネディクトゥスの修道戒律」に従って生活するすべての修道士・修道女の修道院ないし修族Congregatio Monastica(自主性をもつ各修道院の連合体の名称)を含む。狭義には別派独立したカマドール会・シトー会などを除いた修道院(16の修族を数える)をさす。

 創立者はヌルシアのベネディクトゥス。529年ローマとナポリの中間にあるモンテ・カッシーノに修道院を建て戒律を制定、西欧修道制の基(もとい)を築いた。戒律は序文と73章からなり、聖務日課(祈り)の規定、院内外の生活や行動の規定、修道者としての心構えなど、具体的かつ網羅的に条文化されている。だが、戒律の要諦(ようてい)は共住生活の勧めと服従の精神とに集約されるであろう。あたかも転換期の流動的社会状況のなかにあって、禁欲者の群れを修道院内に定住させ組織化し、やがて展開する中世カトリック教会の屋台骨を支える集団を形成した意義はきわめて大きい。また自給自足体制にちなむ労働倫理の育成、荘園(しょうえん)経済と絡んでの社会経済史上に与えた影響、古代文化の橋渡し役など、修道院の果たした役割は多彩であった。

 しかし、ベネディクト会がその地歩を現実社会のなかに確保するにつれて、制度化に伴うひずみがおこる。8、9世紀のアニャーヌのベネディクトゥスによる改革、10世紀のクリュニー修道院改革運動、11世紀のシトー会による改革など、中世ベネディクト会史は一面改革運動史でもある。13世紀には、フランシスコ会など新しい勢力の前に衰退を余儀なくされた。なおベネディクト会の系統を観想的修道会、フランシスコ会の流れを活動的修道会とよび、その性格を対照することもある。

 近代に入り学問研究、典礼運動などを契機に復興した。日本ではシトー会に属する北海道のトラピスト修道院にベネディクト会のおもかげをうかがうことができる。

[赤池憲昭]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベネディクト会」の意味・わかりやすい解説

ベネディクト会
ベネディクトかい
Ordo Sancti Benedicti; Benedictines

ヌルシアのベネディクト会則に従う最古のカトリック修道会。同会則をとる修道院は7世紀に全ヨーロッパに広がり,10世紀に改革を推進したクリュニー修道院を中心に組織化が進んだ。 11世紀に絶頂に達し,教会の中枢を占め,富をたくわえ,ヨーロッパの文化をになった。シトー会の独立,新しい修道会の誕生,大学の創設などの影響で,12世紀後半から衰退。宗教改革でドイツ以北のほとんどを失ったが,17世紀フランスでサン・バンヌ,サン・モールの2修族が生れて学問研究を中心に興隆。フランス革命後の修道院破壊運動でほとんど壊滅したが,19世紀中頃からドイツ,フランス,イタリア,イギリス各国を中心に再興。 1964年統一された。なお,ほぼ並行的な歴史をたどった女子ベネディクト会がある。日本には男子修道会が 31年に渡来,36年茅ヶ崎に修道院を建てたが,これは第2次世界大戦期に消滅し,戦後東京目黒で活動を再開した。

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