ザンクトヨハン修道院(読み)ザンクトヨハンシュウドウイン

デジタル大辞泉 「ザンクトヨハン修道院」の意味・読み・例文・類語

ザンクトヨハン‐しゅうどういん〔‐シウダウヰン〕【ザンクトヨハン修道院】

Kloster Sankt Johannスイス東部のミュスタイア渓谷にあるベネディクト修道会修道院。780年にフランク王カール大帝の命により創建された、スイスに残るカロリング朝最古の建造物。12世紀以降は女子修道院となった。聖堂内壁は、旧約聖書新約聖書に基づく82の場面を描いたフレスコ画で覆われている。1983年「ミュスタイアのベネディクト会聖ヨハネ修道院」として世界遺産(文化遺産)に登録された。聖ヨハネ修道院。聖ヨハネ‐ベネディクト会修道院。

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関連語 大帝

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ザンクトヨハン修道院」の意味・わかりやすい解説

ザンクト・ヨハン修道院[ミュスタイヤ]
ザンクト・ヨハンしゅうどういん[ミュスタイヤ]
Kloster Sankt Johann, Müstair

スイス東部,グラウビュンデン州ミュスタイヤ渓谷にある修道院。ミュスタイヤとはロマンシュ語で「修道院」を意味する。8世紀後半にフランク王国カルル1世 (大帝)の命により,北イタリアのロンバルディア地方への進出の足がかりとしてこの地に建てられた。のちに女子修道院となる。修道院聖堂の内壁には現存する数少ない中世初期のフレスコ画が残る。聖書題材とした 82の場面が描かれ,9世紀初頭カロリング朝時代のものが中心。一部,12世紀のロマネスク時代のものもある。聖堂のつくりを簡素にすることにより,壁面を壮大なキャンバスとして利用し,上下5段に分けて描かれている。9世紀の壁画のうち損傷の激しい部分はチューリヒの国立民族博物館に保存されている。 1983年世界遺産の文化遺産に登録。

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