タンガニーカ(読み)たんがにーか(英語表記)Tanganyika

翻訳|Tanganyika

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タンガニーカ」の意味・わかりやすい解説

タンガニーカ
Tanganyika

タンザニアの大陸部分。グレートリフトバレーの中央部からインド洋岸までの地域で,大部分標高 1000~1400mの高原。北東部にキリマンジャロ山,北,西の国境ビクトリア湖タンガニーカ湖があり,湖水面積は5万 1200km2に上る。気温は海岸部は高温多湿,高原は比較的涼しい。古くからアラブ人による奴隷狩りが行なわれ,18世紀からオマーンのザンジバル王国がスルタン領として支配。 1884~85年のアフリカ分割に関するベルリン会議により,1885年ドイツの占領が国際的に認められ,1891年ドイツ領東アフリカの一部 (保護領) となった。 1920年イギリス委任統治領となり,1961年イギリス連邦内の自治国として独立,1962年タンガニーカ共和国となった。 1964年4月ザンジバル人民共和国と合邦してタンガニーカ=ザンジバル連合共和国を形成,1964年 10月タンザニア連合共和国となった。 1993年8月,タンガニーカに独自の自治政府をつくることが共和国国民会議に承認された。農林業が主で,商品作物はサイザルアサをはじめ,コーヒー,綿花,タバコ,カシューナッツなど。ダイヤモンドが採掘され,ビクトリア湖,タンガニーカ湖では漁業も盛ん。地域の3分の2がツェツェバエの生息地。人口 1707万 6270 (1988) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タンガニーカ」の意味・わかりやすい解説

タンガニーカ
たんがにーか
Tanganyika

東アフリカ、タンザニアの大部分を占める地域。東はインド洋沿岸から西はアフリカ大地溝帯に至る。面積94万2626平方キロメートル、人口約3500万(2001推計)。第一次世界大戦後の1919年、ベルサイユ講和条約で、それまでのドイツ領東アフリカの大部分は、イギリスの国際連盟委任統治領となり、その地をタンガニーカとよんだ。第二次大戦後、国際連合の信託統治領となり、1961年イギリス連邦の自治国として独立、64年ザンジバルと合邦してタンザニア連合共和国となった。

[赤阪 賢]

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