ロシアの俳優。クールスク県の農奴の息子で、農奴劇場の芝居を見て育ち、幼時から各地のアマチュア劇団の舞台に出演、17歳で職業的な俳優になる。1821年に解放され、翌年にモスクワの舞台にデビュー、23年からマールイ劇場に加わった。以来40年間性格俳優として、『知恵の悲しみ』のファームソフ、『検察官』の市長など数々の名舞台をつくるとともに、ロシアにおけるリアリズム演技の創始者として活躍し、俳優教育の面でも大きな足跡を残した。マールイ劇場は「シチェープキンの家」とよばれ、スタニスラフスキーも彼の伝統に学んでいる。
[中本信幸]
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...