チーホノフ(読み)ちーほのふ(その他表記)Николай Александрович Тихонов/Nikolay Aleksandrovich Tihonov

デジタル大辞泉 「チーホノフ」の意味・読み・例文・類語

チーホノフ(Nikolay Semyonovich Tikhonov)

[1896~1979]ソ連詩人。第二次大戦中のソ連人民の戦いを歌った「キーロフはわれらとともに」「レニングラード物語」などで知られる。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「チーホノフ」の意味・読み・例文・類語

チーホノフ

  1. ( Nikolaj Sjemjonovič Tihonov ニコライ=セミョーノビチ━ ) ソ連の詩人。革命的ロマンチシズムにあふれた絵画的な作風。第二次大戦後平和運動家としての比重が大きい。代表作叙事詩「キーロフはわれらとともに」。(一八九六‐一九七九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チーホノフ」の意味・わかりやすい解説

チーホノフ(Nikolay Aleksandrovich Tihonov)
ちーほのふ
Николай Александрович Тихонов/Nikolay Aleksandrovich Tihonov
(1905―1997)

ソ連の政治家。ウクライナ生まれのロシア人。ドニエプロペトロフスク冶金(やきん)大学卒業。1940年共産党入党。初め技師として働く。製鉄関係の諸任務を経て中央の経済機関に進出。1963年ゴスプラン(国家計画委員会)副議長、1965年副首相、1966年党中央委員、1976年第一副首相、1978年党政治局員候補と順調な昇進を遂げた。若き日のドニエプロペトロフスク(現、ドニプロ)時代以来のブレジネフとの縁故によるものといわれる。1979年11月党政治局員となり、1980年10月コスイギンにかわってソ連邦首相となった。しかし1985年ゴルバチョフによって解任された。

[塩川伸明]


チーホノフ(Nikolay Semyonovich Tihonov)
ちーほのふ
Николай Семёнович Тихонов/Nikolay Semyonovich Tihonov
(1896―1979)

ソ連の詩人。純芸術主義的傾向の強い文学団体「セラピオン兄弟」の出身。国内戦には赤軍志願兵として参加、しだいに革命的、愛国的精神に満たされた作品を書く。処女詩集は『軍団』(1922)で、初期の作品『青い紙包みのバラード』『釘(くぎ)についてのバラード』(1922)などは、国内戦時代のヒロイズムを歌い上げている。『キーロフわれらとともに』(1941)、『レニングラード物語』(1942)は第二次世界大戦中のソ連人民の戦いを歌う記念碑的作品。戦後は平和運動の要職を務めた。

[草鹿外吉]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「チーホノフ」の意味・わかりやすい解説

チーホノフ
Nikolai Semyonovich Tikhonov
生没年:1896-1980

ロシア・ソ連邦の詩人,社会活動家。小市民の出身で,ペテルブルグの商業学校を出た。1915年から第1次世界大戦に参加,その後18年から22年にかけて赤軍志願兵として戦った。かつては文学グループ〈セラピオン兄弟〉に属していたが,十月革命後は革命的ロマンティシズムにあふれた処女詩集《大群集》(1922)を出した。とくに第2次世界大戦中の独ソ戦で包囲されたレニングラードの戦いを歌った叙事詩《キーロフ,われらとともに》(1941)は有名。戦後は《グルジアの春》(1948-49),《第2回世界平和大会で》(1951),新中国をテーマにした《緑の大地の五つの星》(1961)などの詩集がある。しかし,戦後は詩人としてよりも平和運動の活動家としてのほうが有名であった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チーホノフ」の意味・わかりやすい解説

チーホノフ
Tikhonov, Nikolai Semënovich

[生]1896.12.4. ペテルブルグ
[没]1979.2.8.
ソ連の詩人。文学集団「セラピオン兄弟」に所属していたが,国内戦で赤軍に参加,革命的ロマンチシズムにあふれる詩集『大群集』 Orda (1922) ,『田舎ビール』 Braga (22) を発表。トルクメンやグルジアにおける社会主義建設をうたった詩集『ユルガー』 Yurga (26~30) ,『グルジアの春』 Gruzinskaya vesna (48~49) ,また独ソ戦におけるドイツ軍包囲下のレニングラード市民のヒロイズムをたたえた叙事詩『キーロフはわれわれとともに』 Kirov s nami (41) などがある。また『パキスタンの旅』 Rasskazy o Pakistane (50) など世界平和評議会委員としての社会活動におけるアジアやヨーロッパ旅行から生れた作品も多い。

チーホノフ
Tikhonov, Nikolai Aleksandrovich

[生]1905.5.14. ウクライナ,ドニエプロペトロフスク
[没]1997.6.1. モスクワ,モスクワ
ソ連の政治家。工学博士。ドニエプル派と呼ばれるブレジネフ派の重鎮であった。蒸気機関車運転助士のかたわら,1930年ドニエプロペトロフスク冶金大学を卒業。 40年ソ連共産党入党。 47~50年鋼管工場長,50~54年鉄鋼省総局長,55~57年同次官。 60~63年国家科学・経済評議会副議長。 63~65年国家計画委員会副議長。 65年副首相,66~89年党中央委員。 1976年第一副首相,79年 11月党政治局員に就任。 80年 10月,A.N.コスイギン首相の後任として首相に就任した。 85年首相解任。 89年4月中央委員解任。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「チーホノフ」の意味・わかりやすい解説

チーホノフ

ロシア・ソ連の詩人。ペテルブルグの商業学校を出て,第1次世界大戦に参加。1918年から1922年にかけて志願兵として赤軍の戦闘に加わる。革命的ロマンティシズムの色調の濃い処女詩集《大群衆》(1922年)で注目されたが,第2次世界大戦の独ソ戦で長期にわたってドイツ軍に包囲されたレニングラードの戦いに取材した叙事詩《キーロフ,われらとともに》(1941年)が代表作。戦後にもいくつか詩集があるが,むしろ平和運動家として知られた。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android