チーホノフ(読み)ちーほのふ(英語表記)Николай Семёнович Тихонов/Nikolay Semyonovich Tihonov

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チーホノフ」の意味・わかりやすい解説

チーホノフ(Nikolay Aleksandrovich Tihonov)
ちーほのふ
Николай Александрович Тихонов/Nikolay Aleksandrovich Tihonov
(1905―1997)

ソ連の政治家。ウクライナ生まれのロシア人。ドニエプロペトロフスク冶金(やきん)大学卒業。1940年共産党入党。初め技師として働く。製鉄関係の諸任務を経て中央の経済機関に進出。1963年ゴスプラン(国家計画委員会)副議長、1965年副首相、1966年党中央委員、1976年第一副首相、1978年党政治局員候補と順調な昇進を遂げた。若き日のドニエプロペトロフスク(現、ドニプロ)時代以来のブレジネフとの縁故によるものといわれる。1979年11月党政治局員となり、1980年10月コスイギンにかわってソ連邦首相となった。しかし1985年ゴルバチョフによって解任された。

[塩川伸明]


チーホノフ(Nikolay Semyonovich Tihonov)
ちーほのふ
Николай Семёнович Тихонов/Nikolay Semyonovich Tihonov
(1896―1979)

ソ連の詩人。純芸術主義的傾向の強い文学団体「セラピオン兄弟」の出身。国内戦には赤軍志願兵として参加、しだいに革命的、愛国的精神に満たされた作品を書く。処女詩集は『軍団』(1922)で、初期の作品『青い紙包みのバラード』『釘(くぎ)についてのバラード』(1922)などは、国内戦時代のヒロイズムを歌い上げている。『キーロフわれらとともに』(1941)、『レニングラード物語』(1942)は第二次世界大戦中のソ連人民の戦いを歌う記念碑的作品。戦後平和運動要職を務めた。

草鹿外吉

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チーホノフ」の意味・わかりやすい解説

チーホノフ
Tikhonov, Nikolai Semënovich

[生]1896.12.4. ペテルブルグ
[没]1979.2.8.
ソ連の詩人。文学集団「セラピオン兄弟」に所属していたが,国内戦で赤軍に参加,革命的ロマンチシズムにあふれる詩集『大群集』 Orda (1922) ,『田舎ビール』 Braga (22) を発表。トルクメングルジアにおける社会主義建設をうたった詩集『ユルガー』 Yurga (26~30) ,『グルジアの春』 Gruzinskaya vesna (48~49) ,また独ソ戦におけるドイツ軍包囲下のレニングラード市民のヒロイズムをたたえた叙事詩『キーロフはわれわれとともに』 Kirov s nami (41) などがある。また『パキスタンの旅』 Rasskazy o Pakistane (50) など世界平和評議会委員としての社会活動におけるアジアやヨーロッパ旅行から生れた作品も多い。

チーホノフ
Tikhonov, Nikolai Aleksandrovich

[生]1905.5.14. ウクライナ,ドニエプロペトロフスク
[没]1997.6.1. モスクワ,モスクワ
ソ連の政治家。工学博士。ドニエプル派と呼ばれるブレジネフ派の重鎮であった。蒸気機関車運転助士のかたわら,1930年ドニエプロペトロフスク冶金大学を卒業。 40年ソ連共産党入党。 47~50年鋼管工場長,50~54年鉄鋼省総局長,55~57年同次官。 60~63年国家科学・経済評議会副議長。 63~65年国家計画委員会副議長。 65年副首相,66~89年党中央委員。 1976年第一副首相,79年 11月党政治局員に就任。 80年 10月,A.N.コスイギン首相の後任として首相に就任した。 85年首相解任。 89年4月中央委員解任。

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