シモンペレス(その他表記)Shimon Peres

現代外国人名録2016 「シモンペレス」の解説

シモン ペレス
Shimon Peres

職業・肩書
政治家イスラエル大統領・首相,元イスラエル労働党党首

国籍
イスラエル

生年月日
1923年8月2日

出生地
ポーランド・ヴォウォズィン(ベラルーシ)

本名
ペルスキ,シモン〈Perski,Shimon〉

学歴
ニューヨーク大学卒,ハーバード大学卒

受賞
ノーベル平和賞〔1994年〕,フェリクス・ウフエボワニ賞(ユネスコ)〔1994年〕

経歴
1934年パレスチナ移住キブツで育つ。’47年独立闘争に参加し、’48年パレスチナ戦争の際海軍司令官となる。’53年国防次官。’59年国会議員に当選。’59〜65年国防次官、’69〜70年経済担当国務相兼移民吸収相、’70〜74年運輸・通信相、’74年3〜6月情報相、’74年6月〜77年5月国防相を歴任。’68年以降も労働党メンバー。’77年4月ラビン首相辞任をうけ首相代行・労働党党首。同年5月の総選挙でリクード(右翼連合)に惨敗。’84年9月リクードとの挙国一致内閣で首相に就任。’86年10月首相代行兼外相。’88年12月〜’90年4月首相代行兼財務相。’92年2月党首辞任。同年7月天敵といわれたラビン首相の下で外相となり、’93年ラビンとのコンビで対PLO秘密交渉に当たり、PLOとの歴史的な和解実現させた。’94年ラビン、アラファトとともにノーベル平和賞を受賞。’95年11月ラビン首相の暗殺で首相となる。国防相を兼任。’96年5月中東和平の路線の是非を問う、イスラエル初の首相公選で、占領地返還に反対するネタニヤフ候補に大接戦の末敗北した。’97年イスラエルとパレスチナの経済・文化の交流を通じて和平促進を目指す“ペレス平和センター”を開設。’98年ユダヤ人補償基金評議会会長に就任。’99年7月〜2001年バラク政権で新設された地域開発相。2000年7月大統領選に出馬するが、野党右派リクードのモシェ・カツァブ候補に敗れる。2001年3月シャロン政権の外相に就任、2002年11月労働党の政権離脱に伴い外相辞任。2003年6月労働党党首。左右両派連立で2005年1月特別副首相に就任。同年11月労働党党首選で敗北、特別副首相辞任。同月同党離党とシャロン首相支持を表明。2006年3月総選挙でシャロンの新党カディマから当選、5月オルメルト内閣で政権ナンバー3の特別副首相。2007年7月大統領に選出され、第9代大統領に就任。2014年7月退任。著書に「新しい中東」(1993年)、「Battling for Peace」(’95年)など。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「シモンペレス」の解説

シモン ペレス
Shimon Peres


1923 -
イスラエルの政治家。
元・イスラエル首相,イスラエル外相。
ポーランド生まれ。
ポーランドで生まれるが1934年パレスチナに行く。’48年より国防省に勤務し、’53年より6年間同省局長となる。その後国防次官等を務め、新党ラフィ創設後は、同書記長となる。’68年労働党結成のメンバーでもあり、’77年同党党首となる。’74〜77年国防相を経て、’84年首相に選ばれる。その後首相代行を経て92年外相となり、93年天敵といわれたラビン首相とともに対PLO秘密交渉に当たり、PLOとの歴史的和解を実現。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「シモンペレス」の解説

シモン ペレス

生年月日:1923年8月16日
イスラエルの政治家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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