リクード

デジタル大辞泉 「リクード」の意味・読み・例文・類語

リクード(Likud)

イスラエル保守政党。1973年、ベギンらが中心となって結党労働党と並ぶ二大政党として政権担当中東戦争パレスチナ入植政策で強硬姿勢を取るが、2005年に党首首相だったシャロンらが集団離党してカディマを結成し、一時衰退した。
[補説]ヘブライ語団結の意。

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百科事典マイペディア 「リクード」の意味・わかりやすい解説

リクード

イスラエルの右翼政党連合。1973年結成。ヘブライ語で〈統一〉の意。1977年労働党連合を破り,政権与党となった。政策面ではユダヤ教の尊重,貧困層の救済のほか占領地の併合を訴えてタカ派色が強い。しかし初代党首ベギンはキャンプ・デービッド合意,2代シャミールはマドリード会議をへて中東和平プロセスを準備した。1992年には労働党に敗れて下野した。1996年から首相公選制となり,ネタニヤフ党首が当選したが,総選挙では大幅に議席を減らし,連立内閣に参加した。1999年の首相公選でネタニヤフは労働党のバラクに敗れ,総選挙でもリクードは労働党に敗れた。1999年,シャロンが党首となり,2001年にバラクを破って首相となった。2005年にシャロンが新政党ガディマを結成して離党した後,ネタニヤフが党首に再任。2006年の総選挙でリクードは大敗したが,2009年2月の総選挙で,ネタニヤフ率いるリクードが第一党は逃したものの躍進し,労働党などとの右派連立を実現,ネタニヤフは,入植事業の継続政策を加速。対イラン制裁問題やパレスチナ自治政府の国連加盟問題でも強硬な姿勢をとり続けている。12年2月の党首選でネタニヤフ氏が75%以上の票を得て大差再選を果たした。
→関連項目イスラエル労働党パレスティナ暫定自治

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リクード」の意味・わかりやすい解説

リクード
Likud

イスラエルの政党。イスラエル右翼連合とも呼ばれる。 1973年9月,ガハル党,フリー・センター,ステート・リスト,大イスラエル運動の右派4党で結成された。支持者は軍部内に多く,対アラブ強硬路線をとっている。特に 67年の六日戦争 (第3次中東戦争 ) で占領したアラブ地域は今後も保持するという基本原則を主張。 73年の総選挙でイスラエル労働党に次ぐ第2党となったあと,77年の総選挙では第1党となり,M.ベギン党首を首班とする新内閣が発足した。その後も中軸政党として政権を担当。 99年に党首となった A.シャロンは,2001年の首相公選で当選した。

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世界大百科事典(旧版)内のリクードの言及

【イスラエル[国]】より

… このように建国後のイスラエルの歴史はつねに戦争に彩られていたが,キャンプ・デービッド合意を経て79年3月にはエジプトとの間に平和条約が調印され,93年9月にはパレスティナ解放機構(PLO)との間に暫定自治に関する原則宣言が調印され,さらに94年10月にはヨルダンとの間に平和条約が調印されて,ようやく和平への道をたどることとなった。しかし,94年5月に開始されたパレスティナ占領地区での暫定自治は,その後96年5月のイスラエルの総選挙の結果,占領地からのイスラエル軍の撤退に消極的なリクードのネタニヤフ政権が登場したために予定通り進展せず,またシリアおよびレバノンとの間の平和条約交渉も停頓したままとなっている。
【国土,住民】
 イスラエルは北はレバノン,北東はシリア,東はヨルダン,南西はエジプトと接しているが,エジプトおよびヨルダンとの間を除き国境はまだ法的に確定していない。…

※「リクード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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