シュレースウィヒ=ホルシュタイン問題(読み)シュレースウィヒ=ホルシュタインもんだい(その他表記)Schleswig-Holstein question

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

シュレースウィヒ=ホルシュタイン問題
シュレースウィヒ=ホルシュタインもんだい
Schleswig-Holstein question

シュレースウィヒホルシュタイン両公国の帰属をめぐるドイツとデンマークの係争問題。 19世紀には両公国ともデンマークの統治下にあったが,住民の大半は北シュレースウィヒを除いてドイツ人であり,特にホルシュタインは 1815年以降ドイツ連邦に加わり,デンマークからの分離の要求が高まっていた。 48年ドイツに三月革命が起ると,両公国内のドイツ人による独立運動はその頂点に達し,彼らはドイツ連邦による支援を期待して蜂起した。ドイツ連邦の委任を受けたプロシアは両公国に出兵したが,ドイツの強大化を恐れるイギリス,フランス,ロシアの干渉により撤退を強いられ,52年のロンドン条約でこの両国は以前の状態にとどまることが決定された。しかし,63年デンマーク王となったクリスティアン9世が新しいデンマークの憲法をシュレースウィヒに適用するという形での併合を企図したために問題は再燃し,両公国の住民は再び蜂起した。クリミア戦争で疲れきった列国介入のないことを確信したビスマルクオーストリアを誘って,64年デンマークに宣戦してこれを破り,ウィーン条約で両公国のオーストリアおよびプロシアへの割譲を認めさせ,翌 65年ガスタイン協定によってオーストリアはホルシュタインを,またプロシアはシュレースウィヒを統治することになった。しかしこの決定に不満なオーストリアは強硬策をとるビスマルクと対立,66年プロシア=オーストリア戦争が起り,プロシアが大勝して,シュレースウィヒ,ホルシュタイン両公国ともプロシア領となった。一方,北シュレースウィヒのデンマーク人は少数民族としてデンマークへの合体を要求,第2次世界大戦後人民投票の結果,デンマーク領となった。

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