シーボルト宅跡・鳴滝塾跡(読み)しーぼるとたくあと・なるたきじゆくあと

日本歴史地名大系 の解説

シーボルト宅跡・鳴滝塾跡
しーぼるとたくあと・なるたきじゆくあと

[現在地名]長崎市鳴滝二丁目

ドイツ人医師・博物学者、また日本研究家で知られるシーボルトの居宅兼塾舎の跡。あじさい屋敷とも称された。国指定史跡。文政六年(一八二三)オランダ商館医として来崎したP・F・B・V・シーボルトは、出島に出入りする通詞兼医師や遊学生に医学や博物学などを教えるようになった。さらにオランダ商館長スチュルレルや、オランダ領東インド総督カペルレンの委託や尽力もあって、長崎市中に立入ることを長崎奉行高橋重賢から格別に許され、門人らの邸に出張して病人の診療にあたることや、長崎郊外での薬草など植物の採集、さらに西洋医学の伝授などを認められた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む