ジヤギョカルプ(英語表記)Ziya Gökalp

改訂新版 世界大百科事典 「ジヤギョカルプ」の意味・わかりやすい解説

ジヤ・ギョカルプ
Ziya Gökalp
生没年:1876-1924

トルコのナショナリスト,社会学者。〈青年トルコ〉革命後の1909年,革命の中核であったテッサロニキの〈統一と進歩委員会〉本部に,故郷ディヤルバクル代表として加入。そこで文学者オメル・セイフェッティンらとともに《若いペン》誌を刊行して,トルコ語の純化・簡略化を目指す言語ナショナリズム推進した。バルカン戦争によるテッサロニキ陥落後,委員会本部とともにイスタンブールへ移り,アクチュラらの《母国トルコ》誌に参加。また,イスタンブール大学で社会学の講義を受け持った。第1次世界大戦後,連合軍によりマルタ島に流され,共和国成立後は国会議員として活動した。ムスリムであるトルコ人として,西洋近代文明に能動的に参加することを主張して,ナショナリズムとイスラム,および〈西洋化〉の潮流を調和させ,トルコ・ナショナリズムの基礎を確立した。《トルコ主義の諸原理》をはじめとして,多くの評論,詩も発表している。
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20世紀西洋人名事典 「ジヤギョカルプ」の解説

ジヤ・ギョカルプ
Ziya Gökalp


1876 - 1924
トルコのナショナリスト,社会学者。
国会議員。
ディヤルバクル生まれ。
1909年「青年トルコ」革命後、テッサロニキの「統一と進歩委員会」本部に加入、「若いペン」誌を刊行し、言語ナショナリズムを推進。バルカン戦争でテッサロニキは没落、委員会本部と共にイスタンブールに移り、「母国トルコ」誌に参加。第一次大戦後は連合軍にマルタ島に流されるが、共和国成立後は国会議員として活動。ナショナリズムとイスラム及び西洋化の潮流を調和させてトルコ・ナショナリズムの基礎を確立、評論に「トルコ主義の諸原理」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「ジヤギョカルプ」の意味・わかりやすい解説

ジヤ・ギョカルプ

トルコの民族主義者。1908年の〈青年トルコ〉革命後,革命派の一端担い,作家オメル・セイフェッティンらと《若いペン》誌でトルコ語簡素化・改革運動を推進。バルカン戦争でテッサロニキが陥落した後,イスタンブールでパン・トルコ主義者アクチュラらの《母国トルコ》誌に参加。トルコ共和国成立後,国会議員。評論,詩も多数ある。

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