ディヤルバクル(読み)でぃやるばくる(英語表記)Diyarbakir

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディヤルバクル」の意味・わかりやすい解説

ディヤルバクル
Diyarbakır; Diyarbekir

トルコ南東部にある都市で,ディヤルバクル県の県都。チグリス川右岸に位置する。古くはアミダ Amidaと呼ばれ,3世紀にローマの植民地となったが,ペルシアとの争奪の的であった。のちビザンチン領となり,639年頃アラブの手に渡った。1516年にオスマン帝国の支配下に入り,往時の繁栄を回復した。ペルシア国境に近く,軍事的に重要であり,今日でも旧市街は全長約 5kmに及ぶ多数の塔のある黒い玄武岩城壁で囲まれている。城壁とヘブセル庭園の文化的景観は 2015年,世界遺産の文化遺産に登録された。毛織物綿織物と銅製品の製造が行なわれ,金銀細金細工は昔から有名である。農業は特にスイカの生産が知られる。首都アンカラとは鉄道と空路で結ばれ,国内の主要都市,シリアのアレッポイラクモースルとはハイウェーが通じている。人口 89万2713(2013推計)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディヤルバクル」の意味・わかりやすい解説

ディヤルバクル
でぃやるばくる
Diyarbakir

トルコの小アジア半島南東部にある内陸都市。ディヤルバクル県の県都。ジヤルベキールともいう。ティグリス川(トルコ名ディジュレ川)右岸沿いの段丘上に位置する。人口54万5983(2000)。商業、陸上交通の要衝で、空港もある。アミダAmidaの名で紀元前3000年にさかのぼる歴史をもち、その後ミタンニアッシリア、ペルシア、ローマ、パルティア、ビザンティンなどの国に相次いで支配され、1515年以来オスマン帝国領となった。旧市街は周囲を5.5キロメートルにわたって城壁で囲まれているが、その起源は前349年のローマ皇帝コンスタンティヌスの命令によるという。内城やウル・ジャミー(大モスク)などの史跡がある。

[末尾至行]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android