ジャッキーチェン(読み)成龍(その他表記)Jackie Chan

現代外国人名録2016 「ジャッキーチェン」の解説

ジャッキー チェン
成龍
Jackie Chan

職業・肩書
俳優,映画監督・プロデューサー

国籍
香港

生年月日
1954年4月7日

本名
陳 港生(ツェン ゴンサン)

別名
芸名=元樓, 陳元龍

学歴
中国戯劇学院〔1971年〕卒

受賞
アジア太平洋映画祭特別映画祭賞(第38回)〔1993年〕,金馬奨主演男優賞(台湾,第30回)〔1993年〕「新ポリス・ストーリー」,バプテスト大学(香港)名誉博士号〔1995年〕,香港電影金像奨アクション指導賞(第18回)〔1999年〕「WHO AM I?」

経歴
7歳の時、全寮制の中国戯劇学院に入学、京劇の基礎を10年間叩き込まれる。傍ら、元樓の芸名で“七小福”のメンバーとして功夫(カンフー)コメディを中心に活躍した。8歳の時映画デビューし、子役として数多く出演。1971年学院卒業後、芸名を陳元龍と変え、下積み生活を送る。’74年本格的主演作「燃えよジャッキー拳」に出演。一時映画界を退いて両親と共にオーストラリアで暮していたが、’76年羅維プロの招きで芸名も成龍と改め、「新精武門」「少林寺木人拳」(’76年)など立て続けに主演し、’78年「スネーキー・モンキー/蛇拳」「ドランク・モンキー/酔拳」の〈モンキー〉シリーズで一躍、カンフー映画のスターとして人気急上昇。’79年「クレージー・モンキー/笑拳」では監督・主演・武術指導とワンマン映画を製作。’80年の「ヤングマスター/師弟出馬」は香港映画史上最高の興業成績を上げ、次いで「バトルクリーク・ブロー」「キャノンボール」などでハリウッドにも進出、’80〜90年代の香港映画界をリードする映画人となる。ハリウッドでも「ラッシュアワー」(’98年)や「シャンハイ・ヌーン」(2000年)などがヒットし、2002年ウォーク・オブ・フェイムに名前が刻まれる(ハリウッド殿堂入り)。のち香港に拠点を移し、JCE(ジャッキー・チェン・エンペラー)ムービーズを設立。2011年自身の映画出演100本達成記念と中国の辛亥革命100周年を記念した歴史大作「1911」で総監督・主演を務める。他の出演作品に「プロジェクトA」「スパルタンX」(’84年)、「香港国際警察/ポリス・ストーリー」(’85年)、「サンダー・アーム/龍兄虎弟」(’86年)、「サイクロンZ」(’88年)、「奇蹟ミラクル〉」(’89年)、「ツイン・ドラゴン」(’92年)、「シティーハンター」(’93年)、「レッド・ブロンクス」(’94年)、「WHO AM I?」(’98年)、「ゴージャス」(’99年)、「タキシード」(2002年)、「THE MYTH/神話」(2005年)、「プロジェクトBB」(2006年)、「ラッシュアワー3」(2007年)、「ドラゴン・キングダム」(2008年)、「新宿インシデント」(2009年)、「ベスト・キッド」(2010年)、「新少林寺」(2011年)、「ライジング・ドラゴン」(2012年)、「ドラゴン・ブレイド」(2014年)など。飲食・アパレルなど様々なビジネスも展開する一方、ユニセフ親善大使、北京五輪親善大使など社会貢献にも力を注ぐ。2013年中国の国政助言機関・全国政治協商会議(政協)委員に選ばれる。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジャッキーチェン」の意味・わかりやすい解説

ジャッキー・チェン
じゃっきーちぇん
Jackie Chan
(1954― )

漢字表記成龍(せいりゅう)。香港(ホンコン)映画の俳優。香港に生まれ、7歳で中国戯劇学院に入る。ここは子供のときから京劇のアクロバット的な演技を訓練し俳優として養成する全寮制の学校であり、のちに功夫(カンフー)映画やアクション映画のスターになる人材がここから多数現れた。8歳のときから子役として映画に出演するようになり、長い下積みの俳優生活を経て徐々にいい役がつくようになる。1976年の『スネーキー・モンキー 蛇拳』、78年の『ドランク・モンキー 酔拳』で大ヒット。先輩のブルース・リーなきあと、国際的な人気を得て香港アクション映画のトップ・スターとなる。彼の特技はサーカスもどきのアクロバットの体技に喜劇性を加味したところにあり、はらはらどきどきさせながら笑わせる。1983年の『プロジェクトA』、85年の『香港国際警察 ポリス・ストーリー』など、大衆娯楽に徹している。そのほかの作品として、『レッド・ブロンクス』(1995)、『ファイナル・プロジェクト』(1996)などがある。

[佐藤忠男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

知恵蔵mini 「ジャッキーチェン」の解説

ジャッキー・チェン

中国の俳優、映画監督。1954年4月7日、中国・香港生まれ。出生名はチャン・コンサン(陳港生)、家系図上の本名はフォン・シルン(房仕龍)。妻は台湾の元女優ジョアン・リン、息子は俳優のジェイシー・チャン。61年から約10年間、中国戯劇学院で京劇や武術を学ぶ。71年よりスタントマンや端役として映画に出演し、76年から現在の芸名で活動。78年、主役を務めた「ドランクモンキー 酔拳」で話題を集め、80年代には「プロジェクトA」「ポリス・ストーリー/香港国際警察」などの監督・主演作品で大ブレイク。命がけのアクションをこなす俳優として、アジア中にその名を知らしめた。98年には主演の米国映画 「ラッシュアワー」が大ヒットし、以降はハリウッドでも活躍している。2013年、監督・主演映画「ライジング・ドラゴン」を最後にアクション大作から身を引くことを表明。通常の俳優活動は継続するとしている。

(2013-3-14)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

367日誕生日大事典 「ジャッキーチェン」の解説

ジャッキー チェン

生年月日:1954年4月7日
香港の俳優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のジャッキーチェンの言及

【香港映画】より

… 〈クンフー映画〉はたちまち世界のアクション映画に大きな影響を及ぼし,アメリカの映画会社ワーナー・ブラザースがブルース・リーを主演させてつくった《燃えよドラゴン》(1973)をはじめ,イギリスの怪奇映画の老舗ハマー・プロの《ドラゴンVS7人の吸血鬼》(1974),またイタリア製の古代史劇(〈ヘラクレスもの〉)や西部劇(〈マカロニ西部劇〉)を〈クンフー映画〉と折衷させたもの等々のように,各国からスタッフ,キャストを香港に送りこんで東西のジャンルを混交させた合作も行われ,日本でも千葉真一,倉田保昭らが主演の〈カラテ映画〉がつくられた。さらに,《スネーキーモンキー蛇拳》(1977)から《ヤング・マスター師弟出馬》(1980)をへて《プロジェクトA》(1983)に至るジャッキー・チェンJackie Chan(1954‐ )の主演作に代表されるように,〈クンフー映画〉はスラプスティック・コメディやスポーツ映画等々の近接ジャンルをとりこんで変容しながら人気をたもち,80年には中国と合作した《少林寺》が世界的大ヒットを記録し,映画の醍醐味がアクションにあることを証明した。またそれ以前にも,60年代の半ばに華麗なカメラワークとモンタージュを駆使して,武術による闘争を〈ダイナミックな様式美〉にまで高め,新スタイルの武術映画隆盛の礎を築いた胡金銓(キン・フーKing Huとも)という監督の存在もあり,75年のカンヌ映画祭では《俠女(英語タイトルは,A Touch of Zen)》(1969)が上映されて特別賞を受けるなど国際的に高く評価されている。…

※「ジャッキーチェン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android