20世紀日本人名事典 「ジャンボ鶴田」の解説
ジャンボ鶴田
ジャンボツルタ
昭和・平成期のプロレスラー
- 生年
- 昭和26(1951)年3月25日
- 没年
- 平成12(2000)年5月13日
- 出生地
- 山梨県東山梨郡牧丘町
- 本名
- 鶴田 友美(ツルタ トモミ)
- 学歴〔年〕
- 中央大学卒,筑波大学大学院体育研究科コーチ学専攻
- 経歴
- 日川高時代はバスケットボールの選手としてインターハイ、国体で活躍。中央大学に進学して全日本強化選手となるが、レスリングに転向。昭和47年フリー、グレコの両種目で全日本王者に。同年のミュンヘン五輪に参加した後、全日本プロレス旗上げと同時に入門。51年UNヘビー級王座獲得。55年チャンピオンカーニバル初優勝。ジャイアント馬場の後継者となり、58年8月インターナショナル・ヘビー級王座、59年2月AWA世界ヘビー級王座獲得。63年初代世界タッグ王者、平成元年初代3冠統一ヘビー級王者となるなど全日本のエースとして黄金期を築いた。4年B型肝炎を患い入院。以後はスポット参戦を続けた。7年筑波大学大学院体育研究科に入学、スポーツ生理学などを学ぶ。また慶応義塾大学、桐蔭学園横浜大学、中央大学などの非常勤講師として、筋力トレーニング法や指導にあたった。11年3月現役を引退。闘病生活の傍ら、米国ポートランド大学客員教授として運動生理学とトレーニング理論の研究に取り組んでいたが、12年5月肝臓がんのためフィリピン・マニラ市内の病院で肝臓移植手術中に大量出血し死去。同年6月夫人が臓器移植者を援助するジャンボ鶴田基金を設立。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報