現代外国人名録2016 「ジョージウエア」の解説
ジョージ ウエア
George Weah
- 職業・肩書
- 政治家,元サッカー選手 リベリア上院議員 元サッカー・リベリア代表監督
- 国籍
- リベリア
- 生年月日
- 1966年10月1日
- 出生地
- モンロビア
- 本名
- Weah,George Tawlon Manneh Oppong Ousman
- 受賞
- アフリカ年間最優秀選手〔1994年・1995年〕,バロンドール〔1995年〕,FIFA世界年間最優秀選手(第5回,1995年度)
- 経歴
- 子供の頃にサッカーを始め、1985年リベリア3部のユン・サバイバーズに加入。31試合で30得点を決めて認められ、1部のイレブンに移籍。のちカメルーンの強豪チーム、トネーレ・オブヤオウンデを経て、フランス・ASモナコのベンゲル監督(当時)に見出され、’88〜92年ASモナコに所属。のちパリ・サンジェルマン、’95年からイタリアのACミランで活躍。同年欧州年間最優秀選手賞(バロンドール)とアフリカ最優秀選手賞に輝く。2000年1月イングランド・プレミアリーグのチェルシーへレンタル移籍。のちマンチェスター・ユナイテッド、同年10月フランスのマルセイユ、2001年9月UAEのアルジャジラに移籍。リベリア代表では選手、監督として活躍した他、1990年代初めからは用具の購入や遠征費用など経済面でも援助した。抜群の身体能力を持ち、足技に秀でたオールラウンダーとして活躍した。2003年に引退した後は、内戦に苦しむ母国を助ける活動を行う。自身の名を冠したジョージ・ウェア基金やサッカーを通じた少年の育成を目指すジョージ・ウエア・サッカーアカデミーを設立。ユニセフの親善大使も務める。その後、政治活動を始め、2005年リベリア大統領選に立候補。2008年福島県郡山市をホームにJリーグ入りを目指すバリエンテ郡山の総監督に就任。2009年留学先の米国から帰国、2011年には副大統領候補として選挙戦を戦った。2014年12月モンセラード郡選出の上院議員に当選。アフリカ出身選手としては現在も唯一となるバロンドールを受賞しており、リベリアの国民的英雄として知られる。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報