改訂新版 世界大百科事典 「ジーメンス会社」の意味・わかりやすい解説
ジーメンス[会社]
Siemens A.G.
ドイツ最大の総合電機メーカー。ヨーロッパ全体ではフィリップス社に次ぐ。1847年E.W.vonジーメンスが機械工のハルスケJohann Georg Halske(1814-90)と協力してジーメンス・ウント・ハルスケ電信製造所を創設したことに始まる。ロシア,オーストリア,イギリスなどで電信機製作や電線敷設,製鋼,ガラス製造などの事業を手がけた。67年にはインド・ヨーロッパ電信会社を設立して,ロンドンから北海を渡ってドイツに入り,クリミア半島を経てカラチに至る電信線を完成,またアイルランドから大西洋を渡ってアメリカに至る海底電信線を敷設した。事業内容が陸上および海底の電信線の敷設をはじめ,電信電話機器,発電機,電動機,電気鉄道,電灯などの製造・販売にまで拡大したため,97年に株式会社に改組。1903年には重電部門がニュルンベルクのシュッケルト社を買収,合併して,ジーメンス・シュッケルト社を設立した(なお1966年に両社は統合して現社名になる)。さらに25年には医療機器メーカーのライニガー,ゲッベルト・ウント・シャルの両社を合併した。ここに,ジーメンスの3本柱である通信機器,重電機器,医療機器の各部門の基礎が確立した。その後も発展を続け,世界有数の一大コンツェルンとなった。第1次大戦後ジーメンス・グループはドイッチェ・バンクを介してクルップ,マンネスマン,ティッセンなどドイツを代表する重工業コンツェルンとの結びつきを強めた。またアメリカのゼネラル・エレクトリック社と提携し,国際的な独占体制を形成。第2次大戦のドイツの敗北で巨額の在外資産と東ドイツの資産を失ったが,まもなく西ドイツ経済が復興すると急速に発展した。本社ミュンヘン。売上高752億ユーロ(2004年9月期)。
日本との関係は明治20年代にまでさかのぼる。1914年には海軍の無電装置納入に関連してシーメンス事件が起きた。23年には古河財閥と共同で富士電機製造(現,富士電機)を設立。
執筆者:青木 良三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報