改訂新版 世界大百科事典 の解説
スラブ・ギリシア・ラテン学院 (スラブギリシアラテンがくいん)
Slavyano-greko-latinskaya akademiya
1687年,モスクワに初めて設けられた一般高等教育機関。シメオン・ポロツキーSimeon Polotskii(1629-80)によって創設。最初はギリシア人の学者を教授に迎え,ギリシア語,ラテン語,教会スラブ語,自由七科,神学を教えていたが,18世紀よりステファン・ヤボルスキーの改革によって近代語,医学,物理学,哲学なども取り入れられ,ギリシア語よりもラテン語に重点をおくようになった。この学院からは聖職者のみならず,官僚も育ち,ロシアにおける最初の高等教育機関として大きな役割を果たした。しかし18世紀中葉にモスクワ大学が創設されると,それまでの存在意義を失い,もっぱら聖職者の養成にあたることになった。1814年にはモスクワ神学大学に改編され,モスクワ近郊のセルギエフ(現,セルギエフ・ポサード)のトロイツェ・セルギエフ大修道院内に移転した。モスクワ大学の創立者ロモノーソフをはじめ同大学の教授陣の多くもこの学院で学んだ。
執筆者:森安 達也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報