20世紀日本人名事典 「タウトブルーノ」の解説
タウト ブルーノ
Taut Bruno
07の建築家
- 国籍
- ドイツ
- 生年
- 1880年5月4日
- 没年
- 1938年12月24日
- 出生地
- 東プロシア・ケーニヒスベルク(現・ロシア・カリーニングラード)
- 学歴〔年〕
- ケーニヒスベルク土木建築学校〔’02年〕卒
- 経歴
- 働きながら大学を終え、22歳からドイツ各地を転々、1909年ベルリンで事務所を持った。’14年博覧会建築の「鉄鋼館」「ガラスの家」でデビュー。第一次大戦中に画文集「都市の冠」「アルプス建築」「宇宙建築師」「都市の解体」を出版。戦後’21年マグデブルク市建築課長となり「曙光」誌を発刊、色彩建築を宣言、市の建物に色を着けて歩き、3年間で解任された。’23〜31年ベルリンで建築供給会社主任となり数多くの団地を設計。’29年主著「近代建築」を刊行。’32年モスクワに招かれるが、そのためナチスに追及され、’33年出国、日本へ。商工省工芸指導所嘱託となり、仙台市や高崎市の工芸所で設計と制作を指導。また、桂離宮、伊勢神宮をはじめ日本の伝統美術の研究・著作に従事し、日本美の再発見者として知られた。’36年トルコへ赴き、イスタンブール美術学校教授、トルコ建設省企画局長を歴任。在日中の建築作品に熱海の旧日向別邸や東京の旧大倉邸があり、日本関係の著書に「ニッポン―ヨーロッパ人の眼で見た」「日本文化私観」「日本の家屋とその生活」「日本美の再発見」、「タウト全集」(全6巻 育生社弘道閣)「ブルーノ・タウト著作集」(全5巻 春秋社)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報