タカクラテル

20世紀日本人名事典 「タカクラテル」の解説

タカクラ テル

大正・昭和期の政治家,小説家,言語学者 日本共産党中央委員会顧問;元・衆院議員;元・参院議員。



生年
明治24(1891)年4月14日

没年
昭和61(1986)年4月2日

出生地
高知県幡多郡七郷村浮鞭

本名
高倉

旧姓(旧名)
高倉 輝豊

別名
旧筆名=高倉 テル(タカクラ テル)

学歴〔年〕
京都帝大英文学科〔大正5年〕卒

経歴
京大卒業後、京大の嘱託となりマルクス主義の研究を。その後長野県に移り、上田自由学校を設立。昭和8年、「長野県教員赤化事件」で検挙されたのをはじめ、23年までに検挙5回。20年10月共産党に入党。21年、戦後初の総選挙に長野県から立候補して当選。22年党中央委員。25年に参院全国区で当選したが、公職追放指令で無効。26年密出国し、中国、ソ連などで活躍。36年から再び中央委員。48年から中央委員顧問。言語学者でもあり、「ハコネ用水」「タカクラ・テル名作選」などの著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「タカクラテル」の解説

タカクラ テル


肩書
日本共産党中央委員会顧問,元・衆院議員,元・参院議員

本名
高倉 輝

旧名・旧姓
旧名=輝豊

別名
旧筆名=高倉 テル(タカクラ テル)

生年月日
明治24年4月14日

出生地
高知県幡多郡七郷村浮鞭

学歴
京都帝大英文学科〔大正5年〕卒

経歴
京大卒業後、京大の嘱託となりマルクス主義の研究を。その後長野県に移り、上田自由学校を設立。昭和8年、「長野県教員赤化事件」で検挙されたのをはじめ、23年までに検挙5回。20年10月共産党に入党。21年、戦後初の総選挙に長野県から立候補して当選。22年党中央委員。25年に参院全国区で当選したが、公職追放指令で無効。26年密出国し、中国、ソ連などで活躍。36年から再び中央委員。48年から中央委員顧問。言語学者でもあり、「ハコネ用水」「タカクラ・テル名作選」などの著書がある。

没年月日
昭和61年4月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タカクラテル」の意味・わかりやすい解説

タカクラ・テル
たかくらてる
(1891―1986)

文学者、大衆運動家。本名高倉輝豊(てるとよ)。高知県生まれ。1916年(大正5)京都帝国大学英文科卒業後、同大学嘱託となり、同時に文学作品を発表するが、22年以降、中央文壇から離れた作家として長野県に在住した。彼はそこで上田自由大学運動を指導し、28年(昭和3)には上小(じょうしょう)農民組合結成に参加、やがてマルクス主義者となる。33年長野県教員赤化事件で検挙され、翌年転向後保釈されるが、その後も39年、42年、44年に検挙された。その間、国語国字改革問題で発言し、農業協同組合水利組合の研究をした。敗戦後、日本共産党から衆議院議員に当選したが、50年(昭和25)マッカーサー指令によって追放される。代表作に『大原幽学』(1939)、『ハコネ用水』(1951)がある。

[赤澤史朗]

『『タカクラ・テル名作選』全六巻(1953・理論社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「タカクラテル」の意味・わかりやすい解説

タカクラ・テル【たかくらてる】

社会運動家,小説家,戯曲家,評論家。本名高倉輝。高知県生れ。京大英文科卒業後,1921年まで同大嘱託。一方で小説,戯曲を発表,大学辞職後は長野県に移り,左翼的な農村文化運動に参加した。1933年教員赤化事件で検挙され,翌年転向。その後,国語国字合理化運動に携わり国民文学を提唱する。《大原幽学》《ハコネ用水》などがその実践。戦後は日本共産党に入党,衆院・参院に当選するがマッカーサー指令により公職追放となった。

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