改訂新版 世界大百科事典 「ダムロン」の意味・わかりやすい解説
ダムロン
Damrong Rajanubhab
生没年:1862-1943
タイのモンクット王ラーマ4世の第31子で,チュラロンコン王の異母弟。19世紀末から20世紀初頭にかけ,兄王チュラロンコンが推進したタイの近代化政策に内相として中核的役割を果たした。イギリス,フランス両帝国主義勢力の東南アジア進出のはざまにあって,タイの主権が脅かされたとき,地方行政制度の近代化によって領土の保全を全うすることができたのは,ダムロンの手腕によるところが大きい。内相就任以前より国民教育制度の創設と発展に尽くした業績も高く評価される。また多忙な公務の合間にタイ史に関する膨大な論文を書き,近代的タイ史学の父とも呼ばれている。1973-76年の民主化時代,ダムロンの業績は若手学者の批判を浴びたが,その著作の多くは現在も学問的価値を失っていない。1932年の立憲革命後ペナンに亡命したがのち帰国し,81歳で死去。
執筆者:石井 米雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報