チェチェン紛争
ロシア南部チェチェン共和国で、ロシアからの独立を目指す武装勢力とロシア軍など治安部隊との間で1990年代以降続いた紛争。ソ連崩壊直前の91年11月、イスラム教徒主体の同共和国が独立を宣言。ロシア軍は94年と99年の2度、軍事進攻した。武装勢力は2002年のモスクワ劇場占拠事件、04年の北オセチア共和国の学校人質事件など数々のテロを実行。2000年代半ば以降、チェチェン共和国の治安は改善し、ロシア国家テロ対策委員会は09年に対テロ作戦終了を宣言した。(ソチ共同)
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チェチェン紛争
チェチェンふんそう
ロシアからの分離独立を目指すチェチェン共和国とロシアとの間で,1994年から2度にわたり戦われた民族紛争。チェチェンの主要民族であるチェチェン人は独立志向が強く,帝政ロシア時代から自治と独立を求め戦ってきた。ソビエト連邦崩壊直前の 1991年 11月,チェチェン大統領に選出されてまもないジョハル・ドゥダエフがロシア共和国からの分離独立を宣言。ロシアはチェチェン国内の反ドゥダエフ武装勢力を支援して独立を阻止しようとしたが,果たせなかった。 1994年 12月 11日,ロシア軍がチェチェンに侵攻し,第1次チェチェン紛争が勃発した。ロシア軍は 1995年3月首都グロズヌイを制圧したが,チェチェン側はゲリラ戦による抵抗を続けた。 1997年5月チェチェンとロシアは暫定平和条約に調印し,ロシア軍はチェチェンから撤退した。独立問題は5年間凍結されることになり,チェチェン側はこれを独立容認と解釈した。 1999年8月,チェチェン武装勢力が隣国ダゲスタン共和国を攻撃したことから,ロシア軍が再びチェチェンに侵攻,第2次チェチェン紛争が始まった。チェチェン側は再びゲリラ戦で応じると同時に,ロシア国内で爆弾テロなどを行なった。2度の紛争による死者は 10万人をこえた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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チェチェン紛争
チェチェンふんそう
Chechen
1994年,ロシア連邦からの独立を要求するチェチェン共和国とロシアの間の民族紛争
チェチェン共和国は,グルジアに隣接するイスラーム系住民が中心の共和国で,19世紀以来ロシアの支配に対して激しく抵抗してきた。1990年チェチェン−イングーシ共和国がロシアからの独立を宣言したが,ロシアのエリツィン大統領はこれを認めなかった。1992年にチェチェン共和国とイングーシ共和国に分裂し,チェチェン共和国はロシアからの完全独立を主張,94年12月にエリツィンはロシア軍をチェチェンに投入し,内戦状態にはいった。1996年停戦に合意し,97年にはロシア軍が全面撤退。しかし,いまだチェチェン領内では武装勢力が活動を続けている。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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