日本大百科全書(ニッポニカ) 「チャガタイ・ハン」の意味・わかりやすい解説
チャガタイ・ハン
ちゃがたいはん / 察合台汗
Chaghatai-Khan
(?―1242)
モンゴルの君主。チンギス・ハンの第2子でチャガタイ・ハン国の祖。父に従って1211年には中国華北に、19~24年には中央アジアからインド方面に遠征した。チンギス・ハンの没(1227)後、イリ渓谷のアルマリク近辺のオルド(幕営)に住んで、大ハンに即位した弟のオゴタイを補佐。とくにチンギス・ハンのヤサ(慣習法)の管理者としてモンゴル帝国に重きをなしたが、その遵守に峻厳(しゅんげん)であったためイスラム教徒の憎悪を買った。オゴタイの死(1241年12月11日)の2、3か月後、42年の春に没した。その名は、後のティームール帝国のトルコ系支配者ならびに同帝国治下に発達したトルコ語(チャガタイ・トルコ語)の名称として長らえた。
[加藤和秀]