チャーニー(読み)ちゃーにー(その他表記)Jule Gregory Charney

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チャーニー」の意味・わかりやすい解説

チャーニー
ちゃーにー
Jule Gregory Charney
(1917―1981)

アメリカの理論気象学者。数値予報実用化の第一歩を築いた。サンフランシスコの生まれ。1938年カリフォルニア大学数学物理学科を卒業。1941~1942年同大学の物理学・気象学教室の助手となり、ビャークネス、ホルンボーJörgen Holmboe(1902―1979)の影響を受けた。1946年シカゴ大学の研究員となり、ロスビーのもとで研究。1947~1948年オスロ大学研究員となり、フョルトフRagnar Fjørtoft(1913―1998)、エリアッセンArnt Eliassen(1915―2000)などとともに研究した。1948年よりプリンストン高等研究所の常任研究員となり、1956年以後はマサチューセッツ工科大学の気象学教授も兼ねた。プリンストンでは数学者のノイマンとともに気象力学の基礎方程式を電子計算機で解く方法を発展させ、今日の数値予報の基礎をつくりあげた。

根本順吉

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「チャーニー」の意味・わかりやすい解説

チャーニー
Jule Gregory Charney
生没年:1917-81

アメリカの理論気象学者,海洋学者。サンフランシスコでロシア移民の子として生まれる。1938年カリフォルニア大学数学物理学科を卒業。46-47年にはシカゴ大学の研究員として,C.A.ロスビーの下で働き,47-48年にはオスロ大学の研究員,48年から56年まではプリンストン高等研究所でJ.フォン・ノイマンとともに数値予報の開拓,発展につくした。56年からはマサチューセッツ工科大学の気象学教授をつとめた。1949年に世界ではじめて数値予報に成功し,その後の大気物理学の発展に新しい道を開いた。シカゴ大学にいたおり書いた論文《傾圧不安定波の力学》(1947),《大規模な大気運動のスケール・アナリシス》(1948)は数値予報の基礎となった。また,アメリカの海洋気象庁の地球流体研究所の創設,国際的な研究計画である地球大気開発計画(略称GARP(ガルプ))など大気物理学の発展にも貢献し,湾流,赤道潜流の研究など海洋学にも貢献した。これらの業績に対し第1回のWMO賞を得たほか,アメリカ気象学会,イギリスの王立気象学会などから多くの賞を得ている。日本の多くの気象学者も彼の影響を受けている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のチャーニーの言及

【数値予報】より

…その後,気象力学が進歩し,高層観測を含む気象観測網が拡充するとともにコンピューターが発明されたため,再び数値予報が試みられることになった。それはコンピューターの父J.フォン・ノイマンの示唆によってJ.G.チャーニーらが研究グループ(プリンストン高等研究所に拠ったところからプリンストン・グループとよぶ)を組織し,簡単な大気モデルを用いて成功したもので,アメリカのメリーランド州アバディーンの弾道研究所のコンピューター(ENIAC(エニアツク))を用いて行われた(1950)。その後,大気モデルが順次改良され,複雑化し,多くの経験が積まれた結果,リチャードソンの夢はほぼ完全に実現し,世界中に普及して日常の天気予報業務に取り入れられるまでに成長した。…

※「チャーニー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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