改訂新版 世界大百科事典 「チュートン人」の意味・わかりやすい解説
チュートン人 (チュートンじん)
Teuton
狭義には古代ゲルマン人の一派テウトネス族Teutones,Teutoniをいう。彼らはユトランド半島に住んでいたが,浸食や高波による土地荒廃のため,隣接するキンブリ族Cimbriとともに南方移動を開始,前110年ころまでにはヘルウェティイ族Helvetii(スイス中部に住んでいたケルト系部族)の一部も加えてライン川に達し,ガリアへ侵入した。前105年アラウシオの戦でローマ軍勢を全滅させ,ローマを震憾させたが,その後キンブリ族は別行動をとってスペインへ向かった。2年後キンブリ族がガリアへ戻ると諸族は2派に分かれてのイタリア侵寇を図り,テウトネス族はアンブロニ族Ambroni(おそらくキンブリ,テウトネスと同じく北方ゲルマン系の部族。確かなことは不明)とともに沿海アルプス側からの侵入を企てたが,前102年アクアエ・セクスティアエ(現,エクサン・プロバンス)の戦でマリウス麾下(きか)のローマ軍に全滅させられた。これ以後テウトネス族は史料から姿を消すが,〈inter Toutonos〉と刻まれた境界石が発見されたことから,後2~3世紀のマイン川地方にその生残りが居住していたとも考えられている。なお,狭義のテウトネス族絶滅後も,テウトネスの名はゲルマン人の同義語として長くラテン詩人たちに使用され,その広義の用法が現代ヨーロッパ諸語にも受け継がれている。
→ゲルマン人
執筆者:後藤 篤子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報