改訂新版 世界大百科事典 「チョクロアミノト」の意味・わかりやすい解説
チョクロアミノト
Umar Said Cokroaminoto
生没年:1882-1934
インドネシアのイスラム同盟の指導者。ジャワの地方上級貴族の家に生まれ,官吏養成学校を卒業後官吏になったが,官界の退廃に耐ええず約3年で官を辞した。1912年スラバヤの商社スティヤ・ウサハの設立に参画し,同社が発行する日刊紙《ウトゥサン・ヒンディア》の編集長になった。同年8月以後,終生イスラム同盟の中心指導者として活躍した。1910年代のイスラム同盟の発展は彼のカリスマ的権威と政治的才能に負うところが大きい。当時の彼のイデオロギーは,人民の政治・社会・経済的利益の促進を基軸としつつも,必ずしも明瞭でない。むしろ共産主義,イスラム近代主義,イスラム保守主義などの諸潮流のイスラム同盟内における共存のために努力した。20年代初期にイスラム同盟がイスラム近代主義を掲げる政党に変化するとともに,彼もイスラム近代主義の旗幟(きし)を鮮明にし,共産主義に対してはイスラム社会主義を唱えた。
執筆者:深見 純生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報