改訂新版 世界大百科事典 「イスラム同盟」の意味・わかりやすい解説
イスラム同盟 (イスラムどうめい)
インドネシアで最初の大衆的民族解放運動団体。サレカト・イスラムSarekat Islamと呼ばれる。1911年中部ジャワのスラカルタに始まり,急速にインドネシア各地に地方組織が形成された。当初は相互扶助団体の性格が強かったが,間もなく人民の不平不満の解決や協同組合設立の促進など,広く人民の社会経済的利益を代表するようになり,16年ころからは活発な政治活動も行うようになった。中央指導部や一部の地方組織はチョクロアミノトなど貴族出自で洋式教育を受けた在野の知識人に指導されたが,全体としてはさまざまな性格の地方組織の寄合世帯で,西洋近代的進歩,土着的相互扶助,イスラムの三つの価値観が並立していた。18-20年の民族運動の高揚において中心的役割を担い,独立や社会主義を掲げるにいたった。最盛期の19年には,二百数十の地方組織に200万以上のメンバーを擁したといわれるが,同年生起したB支部事件を契機に,オランダ政庁による弾圧と組織の崩壊が始まり,20年代に入ると急速に衰退した。21-23年にイデオロギー的にはイスラム近代主義を前面に立て,同盟内の共産党員を追放し,ムハマディヤと密接に協力するようになり,組織名をイスラム同盟党(PSI)と改めた。しかしこの間に大衆運動の指導権は共産党に移った。26年ムハマディヤと袂を分かち,29年インドネシア・イスラム同盟党(PSII)と改名した。20年代以後植民地時代を通じて,政庁に対する非協力路線を貫徹した唯一の政党である。現在はイスラム系野党の開発統一党に加わっている。
執筆者:深見 純生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報