ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツジマン」の意味・わかりやすい解説
ツジマン
Tudjman, Franjo
[没]1999.12.10. クロアチア,ザグレブ
クロアチアの政治家。初代大統領(在任 1991~99)。1991年の旧ユーゴスラビア連邦からのクロアチア独立を導いた。大統領在任中に死去。1941年にパルチザンに参加したのち,旧ユーゴスラビア連邦軍で急速に昇進し,1960年には最年少の将官に数えられた。翌 1961年退役し,労働者運動史研究所所長に就任した。1965年にザグレブ大学で歴史学博士号を取得。民族主義を声高に論じ,第2次世界大戦中のウスタシャ団(親ナチス派クロアチア人)の罪状は旧ユーゴスラビア当局による誇張と非難した。政府を批判した結果 1967年に共産党から追放され,職を解かれるとともに,1972年および 1981年に反政府活動のかどで実刑判決を受けた。1989年にクロアチア民主同盟 HDZを創設,HDZは 1990年にクロアチアで初めて実施された議会の自由選挙に勝利した。ツジマンは大統領に指名されるとクロアチア人の単一民族国家の樹立を目指した。東西スラボニアとクライナ地方のセルビア人勢力が反乱を起こすと,これらの地域はユーゴスラビア連邦軍に占領されたが,ツジマンは 1995年に同地域を奪還し,さらにクロアチア人勢力が多数派となったボスニア・ヘルツェゴビナの一部を事実上支配下に収めた。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を終結させた 1995年のデートン和平合意には調印したものの,強権政治に加えて,旧ユーゴスラビア国際戦争犯罪法廷への協力を拒み,クロアチアを国際的に孤立させることになった。(→クロアチア紛争)
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