日本大百科全書(ニッポニカ) 「パルチザン」の意味・わかりやすい解説
パルチザン
ぱるちざん
partisan
パルチザンとは、本来はなんらかの党派あるいは思想に参画し身を捧(ささ)げる人をさしたが、転じて、部隊の指揮に巧みな人、さらには軽装兵や不正規兵の部隊の一員を意味するようになった。フランス革命時の王党派農民の反乱、ナポレオンの侵略に対するスペインやロシアでの民衆的抵抗も、しばしばパルチザン戦争とよばれ、ゲリラとパルチザンはほぼ同義語とみなされている。強いて違いをあげるなら、今日ではパルチザンには社会主義者の思想や指導がより直接的な影響をもっているといえる。1905~06年の第一次ロシア革命の過程で、ボリシェビキが指導する武装襲撃、物資徴発、テロ、サボタージュ(破壊工作)等の諸活動がパルチザン運動と総称され、その長所や短所がレーニンの論文「パルチザン戦争」(1906)で位置づけられたため、旧ソ連ではゲリラよりパルチザンの名称のほうが通用するようになっている。そのほか、この名称を採用した闘争としては、植民地期の朝鮮における抗日パルチザン、第二次世界大戦時の旧ユーゴスラビアのチトー派の反独抵抗運動が名高い。
パルチザン活動は一般に、人民戦争の遊撃戦段階での主要な戦術形態とされるが、また正規軍の作戦を補完するための、敵戦線の側面や後方でのサボタージュや小規模攻撃などにも利用される。後者は、とくに第二次大戦中、ソ連軍の対独戦闘で大きな威力を発揮した。
国際法上のパルチザンの地位はまだ不確かであり、正規軍の補助者として戦闘員の法的な権利や保護が認められることもあるが、多くの場合、パルチザン活動ではその要件を満たすことがむずかしく、捕虜となった際の処罰、待遇、看護等に関しては法的規制がなく、状況に応じた判断で処理される。しかし、近年では正規の捕虜待遇を与えるべきだとの主張も強くなっている。
[山崎 馨]