つわものどもが夢の跡(読み)つわものどもがゆめのあと

故事成語を知る辞典 「つわものどもが夢の跡」の解説

つわものどもが夢の跡

あるできごとのあった現場のようすが、すっかり変わってしまっていることのたとえ。また、過去から現在へのものごとの移り変わりに、深い感慨をもよおす場合にいう。

[使用例] 大かたこんなことであろうと予想してはいたものの、よくも思い切って荒れ果てたものである。夏草つわものどもの夢の跡――わたしも芭蕉翁を気取って、しばらくあんぜんたらざるを得なかった[岡本綺堂*九月四日|1924]

[使用例] 二十三年の歳月は今では正蔵君をも、今輔君をもそれぞれ両派の大幹部として落ち着くところへ落ち着かせてしまっているが、つわものどもが夢のあと。今や往時を顧みて、両君の感慨は如何いかん正岡容*わが寄席青春録|1952]

[由来] 「おくのほそ道平泉」に載せる、松尾芭蕉俳句から。芭蕉は、一六八九年、奥州藤原氏が栄華を誇った平泉の地を訪れました。そして、一一八九年に源義経を守って家臣たちが最後まで戦い、討ち死にして果てたころもがわのたての跡に腰を下ろして、「時のうつるまでなみだを落し」たと記しています。そのあとに置かれているのが、有名な「夏草やつわものどもが夢の跡」の一句です。

[解説] ❶源平合戦英雄、源義経は、兄の頼朝に追われて逃げ、平泉の地でわずか三〇年ばかりの生涯を終えます。そんな義経や、彼に忠誠を捧げた家臣たちをしのぶものといっては、生い茂る夏草だけ。「夏草や」の句は、松尾芭蕉の絶唱だといえるでしょう。❷全体が俳句として引用されることももちろんよくありますが、「夏草や」を省いた形だと、れっきとした故事成語。「夢の跡」だけで使われる場合でも、芭蕉の句を下敷きにしていることが多いようです。

〔異形〕つわものどもの夢の跡。

出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報

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