正岡容(読み)マサオカ イルル

20世紀日本人名事典 「正岡容」の解説

正岡 容
マサオカ イルル

大正・昭和期の小説家,演芸評論



生年
明治37(1904)年12月20日

没年
昭和33(1958)年12月7日

出生地
東京市神田区東松下町(現・東京都千代田区)

旧姓(旧名)
平井

別名
旧名=蓉

学歴〔年〕
日本大学芸術科〔大正12年〕中退

経歴
東京・神田に軍医の子として生まれ、のち正岡家の養子となる。大正11年、数えの19歳で歌集「新堀端」を刊行、翌年には文芸春秋に掲載された黄表紙風の小説「江戸再来記」が芥川龍之介から賞讃されて自信を得る。14年岩佐東一郎らと「開化草紙」を刊行。以後、酒にひたり女性遍歴を重ねながらも小説、落語浪曲台本、評論を書き続けた。太平洋戦争中から書き始めた演芸に関する随筆・評論で戦後はその方面の権威者となった。その一方では寄席の世界に没入し、一時、コロムビア・レコード文芸部で浪曲を担当、落語家を志して高座に上がったこともある。東宝名人会顧問。また「寄席風俗」「日本浪曲史」「荷風前後」「明治東京風俗事典」、小説「影絵は踊る」「円朝」「寄席」、随筆「百花園」など数多くの著書があり、小沢昭一、加藤武、桂米朝、永井啓夫ら門弟の多いことでも知られた。「正岡容集覧」(仮面社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「正岡容」の意味・わかりやすい解説

正岡容
まさおかいるる
(1904―1958)

小説家。寄席(よせ)芸能研究家。東京・神田生まれ。父は医師平井成(しげる)。8歳で大伯父の正岡家を継いだ。日本大学芸術科中退。早くから歌人吉井勇(よしいいさむ)に師事し、18歳で歌集『新堀端(しんぼりばた)』を出版、創作活動に入ったが、関東大震災後、関西で放浪生活を過ごし、帰京後、小説、レコード台本などを執筆した。小説『置土産(おきみやげ)』(1941)が直木賞候補にあげられたほか、芸能小説『寄席』(1942)、『円朝』(1943)などがある。寄席通として知られ、『日本浪曲史』(1967、没後刊)など、多くの研究・評論・台本などを残している。昭和33年に53歳で没し、東京・谷中(やなか)の玉林寺(ぎょくりんじ)に、墓所と句碑「思ひ皆叶(かの)ふ春の灯(ひ)ともりけり」がある。

[永井啓夫]

『小沢昭一・大西信行・桂米朝・永井啓夫編『正岡容集覧』(1976・仮面社)』『大西信行著『正岡容――このふしぎな人』(1977・文芸春秋)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「正岡容」の解説

正岡容 まさおか-いるる

1904-1958 大正-昭和時代の小説家,演芸評論家。
明治37年12月20日生まれ。吉井勇に師事し,大正11年歌集「新堀端」,翌年長編小説「影絵は踊る」を発表。落語,講談などの演芸にしたしみ,おおくの研究書,台本をかいた。昭和33年12月7日死去。53歳。東京出身。日大中退。旧姓は平井。著作はほかに「円朝」「日本浪曲史」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「正岡容」の意味・わかりやすい解説

正岡容
まさおかいるる

[生]1904.12.20. 東京,神田
[没]1958.12.7. 東京
作家,演芸評論家。日本大学芸術科中退。 1924年『影絵は踊る』を発表,芥川龍之介に天才と評された。永井荷風,吉井勇に心酔,無頼で破滅型の暮しのなかから『日本浪曲史』『荷風前後』などを著した。江戸好みの詩情あふれた文章が,死後再評価されている。

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367日誕生日大事典 「正岡容」の解説

正岡 容 (まさおか いるる)

生年月日:1904年12月20日
大正時代;昭和時代の小説家;演芸評論家
1958年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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